歩前進の姿であるからである。窮極に於て箇性はいかなる過程によって完成されるものであるかという歴史的事実[#「事実」に傍点]を語る高貴な人間記録であるからなのである。

        幼年時代

 マクシム・ゴーリキイは、一八六八年(明治元年)三月二十八日、ロシアでは最も古くから発達した中部商業都市の一つであるニージニ・ノヴゴロド市に生れた。本名は、アレクセイ・マクシモヴィッチ・ペシコフと云った。父親はマクシム・ペシコフ。母の名はワルワーラと呼ばれ、彼は二人の長男として生れたのであった。若い、しっかりした指物師であった父親のマクシムはゴーリキイが五つの時ヴォルガ河を通っている汽船の中でコレラで死んだ。この若い父も当時のロシアの社会に生きる勝気な青年らしい短い物語をもった人であった。
 マクシムの父親というのは陸軍将校であったが、或る時その部下を虐待した廉でシベリヤに流されたという男である。その時分のロシア軍隊生活と云えば有名なひどいものであったにもかかわらず、その中で部下に対する虐待を問題とされ、処分されたということは、この将校の惨酷が一通りのものでなかったことを想像させる。息子である
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