らなかった。しかし、言葉は心の中に残っていて、何か特別な心持を伴って繰かえし思い出された。何故なら、この簡単な「結構さん」の言葉の中には彼の心をひきつけ忘らることの出来ない秘密があった。石っころだの、パンのかたまりだの、茶碗、鍋だのをとるだけのことであるならば何も「結構さん」のむずかしがる特別な意味はある筈はないのだから。
 祖母の家の中庭の隅に、誰にも見捨てられた苦蓬《にがよもぎ》の茂った穴がある。ゴーリキイは「結構さん」と並んでその穴に腰かけている。ゴーリキイは「結構さん」に訊いた。
「何故あの人達は誰もお前を愛さないの?」
「結構さん」はゴーリキイを自分の温い脇腹に抱きよせ、目くばせしながら答えた。
「他人だからさ――分るかい? つまりそれだからさ。ああいう人達でないからさ」
 彼等とは異った一人の者「他人」として「結構さん」はゴーリキイの、騒々しくて、悪意がぶつかり合っているような幼年時代の生活の中に現れた最初のインテリゲンツィアであった。が遂にこの「結構さん」が祖父の家から追い出される時が来た。それは或る家畜の群の中に一匹たちの違う動物がまぎれ込んだ揚句、やがていびり出される
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