すむとみんなは気を失うまで酔っぱらう」のであった。
 一八七〇年代の高揚は去り、工場の中で「同志」とか「同僚」とか云う言葉はこの時代には個人的な意味しかもたなかった。密告は工場内では普通のことになっていた。職場で使う道具さえ、目をはなせば盗まれた。ポヴェドノスツェフの影は工場の内へも圧倒的に差し込んで来た。ナロードニキ達をシベリアへ、要塞監獄へどしどし送る一方で、坊主が工場の中へ入りこみ、「凡て疲れたる者、重荷を負へるもの、我に来れ。我汝を憩はせん」と叫びながら「禁酒会」を組織しているのであった。一八九〇年代に入ってロシアに正当な労働運動が成長した時、「インテリゲンツィア十人に対する一人」の労働者として卓抜な活動をしたシャポワロフは、その価値高い自伝の中で、飾りなく、しかも忘れ難い憤りによって歯の間から云っている。「毎日毎日、私は烈しい労働をした。そして私の頭の働きは鈍って行った。」「禁酒会が私を誘惑した。労働者の孤立はそんなにもひどかった。その頃の工場には政党も、協同組合も相互扶助金庫もなければ、どんなアジテーションもプロパガンダも行われなかった。」十六歳だったシャポワロフは、原始キ
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