しかった。こんなひとかどの人間になったようにしているサーシャが玩具を持っているということは非常に嬉しかった。彼が恥しがっているとして、その極りわるさは、やさしい同感をゴーリキイに湧かせるのであった。
 最初のボール箱が開かれた。中から、緑だけの眼鏡が出た。サーシャはそれをかけ、キットした様子でゴーリキイを見ながら云った。
「球がなくったって一向平気だ。これは、こういう眼鏡なんだから!」
 ゴーリキイがたのんだ。
「どれ、俺にも見せて!」
「お前の目にゃ合わないよ、これは黒眼用だ。お前の眼は何だか白っぽいや」
 次に出た空罎にはいろんなボタンがつまっている。サーシャはその三十七箇のボタンをみんな街路で拾ったのであった。第三番目の箱からは、これまた街路で拾った大きな真鍮ピン、長靴にうつ平鋲のちぎれたの、靴やスリッパーの扣金《とめがね》、真鍮の扉のハンドル、ステッキについている骨製の頭、「夢判断の神籤」その他の、つまり屑が沢山つまっているのであった。
「私が屑拾いや骨拾いをすれば、こんな下らないものなんか一と月のうちに十倍も集めることが出来る」サーシャの持物を見せて貰ってゴーリキイは、がっかりした。たよりない気がした。そして、堪らなくサーシャが可哀想になった。だが、サーシャはその一つ一つを丹念に眺めまわし大事そうに指先で撫でている。
 この晩、自分の宝物で年下の小僧であるゴーリキイを驚かし、羨ませることの出来なかったサーシャは、庭が乾いたら、とても素晴らしいものをゴーリキイに見せる約束をした。次の祭日のとき、主人一家が午睡している隙に、サーシャがこっそりゴーリキイを誘った。
「行こう!」
 二人は、庭へ出て、家と家との間の露路へ行った。そこにはひどく古い菩提樹が十五六株生えていた。どの樹の幹にも青苔がついていて、枝は黒く枯れたようにむき出しになっている。そういう菩提樹の一本の根元にサーシャは止った。それから、出目をグリグリ動かして隣の家の窓に人気のないのを見澄してから、根元の落葉をかきのけ、二つの煉瓦をどけた。ゴーリキイの目の前には一つの洞の入口が現れた。サーシャはマッチを擦って、蝋燭の燃えさしに火をつけ、洞の中へ差入れて、さて、云った。
「見ろよ! こわがるな」
 ゴーリキイは大事をとりながら菩提樹の根の奥まったところを覗き込んだ。
 サーシャの点《つ》けた三本の燃えさし蝋燭の青い光に満たされたその桶のなかぐらいの大さの洞の横手は、色硝子のこわれや茶器のかけら[#「かけら」に傍点]で一面に飾られている。真中の小高いところは赤い布で包まれていて、その上に小さい棺が安置されているのであった。棺には銀紙が貼られているが、そこから突出ているのは雀の小さな灰色の爪と鋭い嘴であった。棺の後方の聖台、その上の銅製の十字架。三本の燃えさし蝋燭のともっている燭台にはどれもお菓子の金紙や銀紙がはりつけられてある。洞の中には、燃える蝋の匂い、腐ったものの臭気、湿った地べたの匂いなどが一杯である。ぎごちない驚異の感情がゴーリキイをとらえた。然し、恐怖は起らない。サーシャが貪慾に訊いた。
「いいだろう?」
 だが、一体これらは皆何のためなのだろう? ゴーリキイは率直にその疑問を呈出した。
「何にするんだい?」
「辻堂さ、似てるだろう?」そして「雀から聖骸がとれるかもしれないよ。罪科もないのに苦しみを受けた致命者なんだから……」
 ゴーリキイは、いかにも彼の性質らしい現実的な問いを発した。
「あの雀は死んでいないのかい?」
「いや、物置に飛んで来たのを帽子でおさえてしめ殺したんだ」
「何だってさ!」
「何てことはないけど……」サーシャは、ゴーリキイの顔を覗き込んだ。
「いいだろう?」
「いいや!」
「どうして気に入らないんだ?」
「雀が可哀そうだもの」
 この論判から掴み合いが持ち上った。ゴーリキイがサーシャの辻堂を破壊した。忽ち翌朝からサーシャの魔法――小僧ゴーリキイが朝磨かなければならない靴という靴の中の、ちょうど手を怪我せずにはいられないところにピンが植わっているという復讐がはじまった。スープをひっくりかえして火傷をする程、ゴーリキイはその靴屋の小僧という境遇、奇妙な従兄のサーシャを嫌悪し逃亡を欲したのであった。
 後年ゴーリキイは、「人々の中」で、この插話の思い出を非常に色濃く、感情をこめ、ディッケンズの俤を浮ばしめるような筆致で描いている。
 ゲーテが五つ六つの時、父親の鉱物標本を譜面台の上に積み重ねて祭壇をこしらえ、レンズで集めた太陽の光で香をたいて、その前に燻じ、万有の神に捧げたという話は、世界文学史の上に「黄金のように輝いた少年」ゲーテにふさわしい逸話として或る意味では伝説的な誇張をもって伝えられている。ゲーテの祭壇とサーシャの辻堂との間には
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