熱に浮かされるような恐ろしい生活の中で小さいゴーリキイの心は自分や他人の受ける侮蔑、苦痛に対して鋭く痛み、人間の生活についての観察を学び、一生を通じて彼の特質をなした真理を求める熱情が既に目覚め始めたのである。
 この時代、ゴーリキイに最も強い影響を与えたのは、祖母アクリーナの素晴らしい存在である。あらゆる憎悪、衝突、叫びのうちに暮して、祖母さんだけはすきとおるような親切、人間の智慧に対する希望、生活の歓びを失わなかった。彼女の独特な信心で美に感じやすいゴーリキイを魅したばかりではない。聴きてを恍惚させるほどの物語り上手であった。彼が屋根裏で、台所の隅で、祖母から聞いた古代ロシアの伝説、盗賊や順礼の物語は、みずみずしく記憶にきざみつけられたのみか、ゴーリキイの初期の創作のうちに反映しているほどである。
 祖父はやがて染物工場を閉鎖した。伯父の一人は自殺し、一人は家を出て、気違いのように吝《しわ》くなった祖父と五十年つれそった祖母との間に不思議な生活が始まった。祖父と祖母とは、茶、砂糖から、聖像の前につける燈明油まで、きっちり半分ずつ出し合って暮した。が、祖父は財産分配の時、祖母に家じ
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