殉教者のように描いた。労働者ウラソフが公判廷で行う演説は、説教者くさいところもある。プロレタリア解放運動の問題を、この作品でゴーリキイは経済的・政治的基礎においてとりあげず、むしろ道徳や、美の問題と混同してさえいるのである。では、「母」は一つの失敗の作であろうか? 決してそうでない。それらの欠点にもかかわらず、作者ゴーリキイの若々しく濁りない熱情、独特な誠実さにみちた調子、劇的要素によって、十分読者をひきつけ労働者の革命的行為の高貴さを理解させる力をもっている。少くとも資本主義国の支配者たちは映画化された「母」の輸入を許可することが出来ないだけ、強力な何ものかがあるのである。
ロシアへかえってから一九一七年の革命まで、ゴーリキイは「幼年時代」、「人々の中」その他多くの自伝的回想風の作品を書いた。これらの作品においてもゴーリキイは、自分だけを中心として書かず、自分の周囲の種々さまざまの人々が、それぞれの時代、それぞれの場所で何を考え、どんな行動をしたかということを、鋭い感覚と善良さと、ありのままに人間を観察するすばらしい能力によって描いている。ゴーリキイの回想的作品が、今日の歴史のなか
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