闘って来ている現実の生活で、彼は「このような民衆を知らなかった。」
 パン焼場での労働は学生達の集会へ出ることを不可能にした。当時の急進的学生は、憎むべき徒食階級に対置して「民衆」を観念的に理想化するにとどまり、誰一人実際にパン焼工場の地下室へゴーリキイを訪ねて彼を鼓舞しなければならぬという必要には思いいたらなかったのであった。
 ゴーリキイ自身の精神的飢餓と当時のロシア労働者の一部がインテリゲンツィアに対して抱いている辛辣な敵意が彼を苦しめた。その頃ゴーリキイはもちろん、労働者とインテリゲンツィアの対立を政治的に利用するために、どんな金を政府が撒いているかなどということは洞察しなかった。ゴーリキイは、その中でパン焼職工の連中に折を見てはもっと楽な、もっと意義ある生活の可能について啓蒙的な話をするのであった。このパン焼工場での生活の断面は「二十六人と一人」という名篇につよい筆致をもって描かれている。
 二十歳の時、ゴーリキイは自殺をしかけた。一八八七年の十二月のことである。ゴーリキイは市場で四つ弾丸のつまったピストルを買い、凍ったヴォルガ河の雪深い夜の崖にのぼって胸を撃った。弾丸ははず
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