ばかりの建設を目撃すると同時に五年前彼がレーニンの考えとは一致しない見解をプロレタリアート独裁下のインテリゲンツィアに対して抱いていたのにつけ込んで、ソヴェト同盟内の富農的ブルジョア的残存分子が、いろいろの泣きごとを彼に向ってぶちかけた。「哀れなる少年の一団より[#「*」の注記]」の問題もその一つである。
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* ソヴェト同盟は当時、すべての学校に先ず労働者の子供らを入れ、農民の子供を入れ、勤め人の子を収容した。ツァー時代のブルジョア・地主の子等は学校に入れなかった。そのことについて「真理の擁護者マクシム・ゴーリキイ」に対する「哀れなる少年の一団」からの訴えの公開状が発表された。ゴーリキイは、それについて二度にわたって答えの文章を書いた。公開状の性質は明らかに反革命的な効果を期待して書かれたものであった。
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ゴーリキイが私のたった二言の返事に対し、それは本当だと云った重々しい調子から、私は文章を通じて感じていたよりもっとはっきり、彼が今非常におびただしい複雑な印象を得てそれを整理したく思っていることを感じたのである。
ゴーリキイは日本の「根付」を集めたことがあることやムッソリーニは婦人に出版権を与えていないこととかを話した。私は自分の本を贈り、短くそのときの自分の心持(インテリゲンツィアの女としての)を話した。
モスクワへ帰ってから、あるところで或る知人に会ったら、その人は一つの書類を私に見せた。それは「哀れなる少年の一団より」の翻訳であった。そして、対外的には反ソヴェト的にゴーリキイがそこに引き合いに出されているのを見た。私はゴーリキイが世界的にもっている影響力の深大さに打たれた。一九二八年のゴーリキイのソヴェト訪問の結果は、世界のすべての資本主義国が卑しい期待にがつがつして待ちかねていたところであった。イタリーのソレントに住んでいながら、常にソヴェト同盟の達成に留意し、反ソヴェト運動に対して文筆をもって闘って来たゴーリキイが、実際のソヴェトを見て何と云い出すか、それによっては直ちに牙をむいて飛びかかろうと待ちかまえていたのであった。ゴーリキイは、自分の置かれている歴史的な立場については正しく慎重に理解した。卑しい期待は満たされ得なかったのである。
一九〇九年に、ゴーリキイは教訓的な経験をし
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