ーリキイに関するあらゆる資料をあつめ、統計をあつめて大衆に無料公開をしている。労働者クラブの「赤い隅」はゴーリキイの著作と、その工場の労働者がどの作品を一番愛読したかという表などで飾られている。工場の労働通信員たちは、黙ってしかし胸をときめかしている。ゴーリキイが自分達の工場へ見学に来たら、それこそ腕一杯の素晴らしい記事を書かなければならない、と。――ゴーリキイが昔から労働者の手記、新しい作家の作品について親切な注意を払うことは知れわたった事実である。
 南露からコーカサスまでを巡遊し自分の新しい建設に熱中しているソヴェト同盟の労働者・農民の嵐のような歓呼に迎えられ、ゴーリキイは感動からもやや疲れてレーニングラードへやって来た。そのころの私はレーニングラードにいて、「ソヴキノ」試写室で世界的映画監督プドフキンによって映画化されたゴーリキイの「母」を見たりしたところである。ゴーリキイには会って見たい心持を制することができなかった。彼は、いたずらに名士ずきで会う人間とそうでない人間との種類を見わけるであろう。その確信が私に勇気を与えたのである。小さい白い紙に下手なロシア語を書いて打ちあわせ、六月のある朝、ヨーロッパ・ホテルの一つの戸をたたいた。
 ひどく背の高い、ゴーリキイの息子が出てきた。普通の長椅子やテーブルの置いてある室へ案内した。朝日が、二つならんだ大きい窓から大理石のテーブルの上にさしている。そこへ食べのこしたのか、まだ食べないのか一切れのトーストがぽつんと皿にのって置かれている。
 息子と入れちがいにゴーリキイが入って来た。かわいた、大きい温い心持よい手である。低いソフト・カラアにネクタイを結び、茶っぽい毛糸のスウェータァの上へいきなり銀灰色の柔い上着を着ている。瘠せているが息子よりもっと背が高く、青い注意ぶかい、鋭い眼である。
 ゴーリキイは低い椅子にかけ、片肱を膝に立てた恰好で、ゆっくり話す。分り易い、気どらない言葉づかいで、それは体全体の調子とつり合い、深い信頼を起させた。日本の文学のことなどをきき、単純に、
「ソヴェトをどう思うか」
ときいた。私は力をこめて、
「大変面白い」
と云った。ゴーリキイは暫く黙って考えていたが、やがて、
「それは本当だ」
と云った。自分は、貴方はどう思っているかとはききかえさぬ。何故なら、ゴーリキイは五年ぶりの訪問で、驚く
前へ 次へ
全16ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング