帰された。その時、九つばかりであった彼は、同じ建物の中に住んでいるリュドミラという年上の跛足の女の子と大仲よしになった。二人は湯殿の中へかくれて本を読み合った。リュドミラの母親が毛皮商のところへ働きにゆき、弟が瓦工場へ出かけてしまうと小さいゴーリキイはリュドミラの家へ出かけた。そして「二人は茶をのんでその後で口やかましいリュドミラの母に気づかれないようにサモワルを水で冷しておいた。」そういう時、十四のリュドミラはませた口調で云うのであった。
「私たちはまるで夫婦みたいに暮しているわね。ただ別っこに寝るだけで。それどころかあたし達の方がずっとよく暮してるわ。――何処の旦那さんも奥さんの手伝いなんかしないんだもの。」
「智慧のあるおばあさん」が時々レース編をしながら仲間に加わった。そして楽しそうに云った。
「男の子と女の子と仲よくするのは大変結構さ。だがね、いたずらをしちゃいけないよ。」
「そして、彼女はいたずら[#「いたずら」に傍点]とは何のことであるかを最も平易な言葉で二人に説明した。私どもは美しく、感動深く話して貰ったので、花は咲かないうちにつみ取るものでない。匂いも実も得られなくなるということがよく分った。」後年ゴーリキイは「人々の中」で更に続けて云っている。「いたずら[#「いたずら」に傍点]をしようとは思わなかった。けれどそれがために私とリュドミラとは普通誰れもが口にしないようなことについて語り合うのを妨げられたのでもなかった。語り合ったのは無論その必要があったからである。つまり、露骨な両性の関係をあまりにも頻繁に、あまりにもしつこく見せつけられて憤慨に堪えなかったからである。」
 女をも不幸の荷い手として見ざるを得ないゴーリキイの育ったこういう環境と、息子が年頃になると小間使の小綺麗なのをあてがい、社交界の身分高い貴夫人と醜行を結ぶことを出世の緒として奨励したロシアの貴族階級の腐敗の中に育ち、それと闘ったトルストイの女性の見方との間にわれわれが大きい相違を認めるのは当然の結果である。トルストイが人類を高めようとする男のよい意志に対する敵、肉体の敵として婦人を観たことは、ゴーリキイを驚かしたことであった。ゴーリキイが新進作家としてトルストイに会うようになった時、トルストイは散歩の道すがらなどでゴーリキイに話したのは農民の生活と女のことであった。トルストイは最も
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