んでした。七つか八つのゴーリキイは、ニージュニの町の貧乏な男の子たちと一緒に、町はずれのゴミステ場へ行って、そこで空カンだのこわれた金具だのをひろって、売って其日其日を過しました。
 ゴーリキイが処女作「マカール・チュードラ」を発表して、作家として見事な出発をしたのは二十四歳の年でした。当時、帝政ロシアの文壇にはトルストイ、ツルゲネフ、アンドレーエフ、チェホフなどという世界の文学の花形が居ました。しかし、ゴーリキイの出現はロシアの文学にとってのみならず、当時の世界文学にとって一つの新しいおどろきとよろこびでした。何故なら、トルストイを見てもわかるようにこれまで作家と云えば上流の子弟で、十分教育もうけた人ばかりでした。が、ゴーリキイは小学校を卒業していないばかりか、大学は勿論中学も出ていません。一カペイキの借本をよんで育った、逞しい正直な鋭い精神をもった、謂わば浮浪人の若者です。そのゴーリキイは、これまでの世界文学の知らなかった現実生活の一面を、つよい、生活力のあふれる筆致で描きはじめました。靴やの小僧、製図見習、聖画工場の見習。ヴォルガ通いの汽船の皿洗い小僧。ゴーリキイは二十四歳になる
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