家としての刻苦精励がつづけられたのであった。彼女の最後を名誉あらしめた「出あい」は、今日世界名画集からはとりのぞくことのできないリアリスティックな傑作の一つとなっているのであるが、マリアが数点の絵とともに後世にのこした独特な日記は、マリアの死後一年に、小説家アンドレ・チェリエによって整理出版された。それ以来、英米訳が出版され日本訳は既に十数年前野上豊一郎氏によって発表されている。
余り多くの才能と余り短い命とをもったマリアは非常に早熟であった。彼女は十三になったとき、もう「私は十三である。こんなに時間を無駄にしていて、これから先どうなることだろう?」と溜息をついている。自分の命に限りのあること、その限りある命の中で、自分がそのためにつくられていると感じている勝利と感動とのために、何事をか仕遂げなければならない。マリアを寸刻も落付かせないその内部の衝動によって、彼女は十三から日記をつけ始めたのである。
普通日記というと、ひとに見せないものとして考えられている。マリアはこの点で全然別な考えをもっていた。はっきり、人に読んで貰うことを期待した。彼女は十六歳の時にこう書いている。
「私は自
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