に身をうちこみ、熱心に努力したマリアがどうして、無気力で趣味も低いナポレオン三世時代の古いサロンばかりをたよりにして、苦しめられていたのだろうか。一八六三年にマネは有名な「草上の昼食」をサロンに出して落選し、別に「落選作品のサロン」を開いて、ヨーロッパの絵画の世界に全く新しい生命をふきこんだ。今日は知らぬ人のないアメリカの画家ジェームズ・ホイスラーもこの落選作品のサロンに出品した。マネ、モネ、ピサロ、ルノアル、ドガ、シスレー、ギョーマン、バジールなどが集って、印象派の運動がおこっていた。マリアは、最後に自分のいのちを注いだ芸術の世界においてさえ、いわゆる貴族とサロンというくされ縁を切れなかったのだろうか。マリア自身の内部にも、ある時は熱くある時は冷たい強烈な生と死との格闘がはじまっている。「要するに、私はまだ、死ぬのにも、陶酔を見出せる年齢にある。」「私にとっては、極端まで押しすすめられた完全な感覚は、苦痛の感じでさえ、すでに一つの享楽である。」
 マリアの肉体の疲労はひどくなって、もう外出も不可能になった。「しかし、気の毒なバスチャン・ルパアジュは外出する。彼はここまで運ばれて来て、
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