なかった急進的な一団のロシア人の中には、クロポトキンがその「思い出」の中に、愛惜をもって美しく描いている有名なソフィア・ペロフスカヤのような秀抜な革命的な若い女もいた。一八八〇年代というときは、又ロシアに最初のマルクス主義団体が生れ、マルクスの「資本論」が翻訳されていた。ヴェラ・ザスリッチのような歴史的な業績をもつ婦人もある。マリア自身、いかにもロシアの女らしいゆたかな生活力と天質に燃えながら、しかも同時代のロシアの歴史の精華と何の接触ももつことができず、それどころか、全く誤った見かたにおかれた彼女の境遇を私は哀れに思う。
 当時全ヨーロッパが最良の精力をつくして、より合理的な社会生活をうちたてようとしていたまじめな人間努力の影響が、マリアの生活に欠けていたことは、マリアが二十三になって、ますます絵画に精進し、芸術におけるリアリズムをとらえ得るようになって来たとき、深刻な矛盾としてあらわれて来ている。当時の芸術思潮の影響もあって自然であることの美しさを、古典的、人工的な美よりも高く評価するようになったマリアは、絵画の技法の上では驚くべきリアリストになりはじめた。ところが、画題の選択の面
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