のプロレタリアートの状態と農村の状態とは、あらゆる点で違うという客観的情勢の上にたって存在してきた農民作家の団体だ。一九二五年の党のテーゼは、こう云っている。
「農民作家は友情的待遇で迎えられ、我々から無条件の支持を受けなければならない。我々の任務は、彼等成長しつつある一団を、プロレタリア・イデオロギーの軌道に導き入れることにある。但しこの際決して、彼等の創作から、農民に影響を及ぼすために必要な前提条件となる、農民的な文芸的形象を根絶すべきではない。」と。
 だが、農民作家の間には、昔のムジーク風な民族主義の傾向がつよく残っている。彼等は現代のソヴェト農民が過去の社会制度の置き土産としてもっているものの考えかたのテンポのおそさ、懐疑癖、漸進性(保守性とまるでくっついた)その他いろんな心理や習慣を、追々進んでゆく社会主義の生産組織へ変ってゆく可能のある要素と見ず、それ等の特性そのものがそれとして価値のあるロシア的[#「ロシア的」に傍点]なものであり、ロシアを救う[#「ロシアを救う」に傍点]ものだという考えかただ。
 農民作家自身、ソヴェト農民は、農村の社会主義生産の拡大強化によって、一日も早く農業生産に従事するプロレタリアートとしてのイディオロギーを把握し、理性のあきらかな階級人として成長しなければならないことを、あまりよく理解しない。農民作家の任務は農民的文学の過渡的な形式や手法を併用しつつ、都会のプロレタリアートと階級的な立場に於ける、相互の利害で協力しあう単一な「結合」への自発性《イニシアチーヴ》を刺戟しなければならない。
 農民作家は人民解放の全線の推進力としての農民を見、農民を発展性において扱うべきなのだ。
 農民作家が、ソヴェト農民の特殊性にとらわれすぎて、どこかで、誤謬を犯している実例は、面白いところに現れている。現在までに、ソヴェトの農村に取材したいい作品を発表しているのは、農民作家ではなく、かえってプロレタリア作家だという事実だ。この事実は雄弁にわれわれに告げる。既に現代、ソヴェト農民の特殊性は、風がわりな婚礼の儀式や、民謡、服装、言葉づかい、または懐疑的であると同時に大胆不敵で執拗な、そして時によって狡い、所謂ロシアの百姓気質[#「百姓気質」に傍点]にあるのではない。それ等が一《ひと》まとまりになりつつ、農民から農業労働者にかわろうとする、その歴史的推移の諸現実が、文学によって再現されるべき特殊性なのだと。――
 五ヵ年計画は、農民作家たちにとって画時代な経験としてあらわれた。
 ところが残念なことに、「同伴者《パプツチキ》」内の或る作家が階級の敵としてあらわれたようにこの農民文学の陣営からも、小さくない敵が発生した。敵というのは「工業化主義者の職場」という全露農民作家協会内の一味だ。
 農村における五ヵ年計画の根本は、生産手段の工業化だ。人間の手足と、馬と木の鋤を耕地からなくして、トラクターで耕し、蒔き、苅入れようというのだ。集団農場化は工業化を基礎としないでは成立しない。この一味の名称は一見いかにも階級的で、五ヵ年計画の課題にこたえているようだ。
 そこが手だったことを「ラップ」は発見した。革命的な、左翼的スローガンをかかげ、この「職場」に属す作家たちは、段々「ラップ」と党の文学的組織の中へ潜りこんで来ようとした。潜りこんで戦線を乱し、文学的運動を通じて農村における集団化の仕事を擾乱し、農民を反ソヴェト的団結に導こうとする計画だった。政治的な面ではブハーリン等を中心として農村の集団化をさまたげている反革命の分派が、農民の文学運動に潜入してトラクターその他の農村工業化の手段を富農層によこどりしようとするこんたん[#「こんたん」に傍点]であることが判明した。
「ラップ」に加盟しないプロレタリア作家と「同伴者《パプツチキ》」左翼とがあつまっている「ペレワール」という団体がある。ソヴェトの文学理論家として有名なウォロンスキーが組織者だった。
 ウォロンスキーは党員だ。そしてマルクシストだ。文学理論家としても、彼には認めるべき功績があった。ウォロンスキーは、将来、よいプロレタリア作家を出す層としてコムソモール、労働・農村通信員、労働大学《ラブファク》の若者たちに党の着目を向けた。検閲の改正を或る程度まで寛大にしろと云ったのも彼だ。プロレタリア作家の物質的条件の改善、文学の仕事の特長として特に作家の住宅問題が解決される必要を云った。『赤い処女地』の編輯者として、多くの若手作家を紹介した。そして、一九二四年代に、プロレタリア作家たちが、「工場的抽象的ロマンチシズム」に立てこもり、現実から離れた不自然な楽観主義で、所謂「木造の赤い聖画」(空虚な宣伝文学)制作に満足しているべきでないこと、過去の文学の伝統に対する清算主義を批判したこと等においてウォロンスキーは誤っていなかった。
 然し、当時からウォロンスキーはプロレタリア文学理論の中に、人道主義の要素をこねまぜる弱点があった。当時擡頭しはじめた「同伴者《パプツチキ》」に対して、彼等に共産主義的なイディオロギーを求めるのは無理だと云った。マルクシストで党員だけれども、ウォロンスキーは、文学好きで、文学の好きかたは芸術至上主義に陥りやすく、彼の文学理論には二元的な分裂がある。純粋の文学と、宣伝文学と二つが別なものとしてウォロンスキーに認識されている。純粋文学制作において、作者の政治的認識は問題にする必要ないという考えが、「ペレワール」の理論的柱となっている。ウォロンスキーのこの二元的な種別はあきらかに間違っている。
 現在ソヴェトの作家が社会主義を建設しつつある社会のなかに住みながらその社会から取題して小説を書き詩を書くのに、どうして政治的認識ぬきで、題材の正確な、階級的把握が可能だろう。「ラップ」のキルションが、一九三〇年の党大会における報告演説の中で、「ペレワール」のこの傾向に触れた。「いや、我々は云わなけりゃならない。現在こそ、今までの何時よりも、ソヴェト作家の各層に、政治的立場の決定を要求しなければならない時なのだと。」この発言には前進するソヴェト社会の必然が語られている。
 ソヴェトのプロレタリアートは革命以来、目のまわるような十数年を生きた。四方八方で新しい社会への基礎工事がはじまり、そのために有用な知識は、どんなものでも生かして使われた。マルクシストと自称する一群のレーニン主義を理解しないマルクシスト[#「マルクシスト」に傍点]さえ、「マルクシズム同盟員」として、働きを与えられていた。
 五ヵ年計画はソヴェトの建設政策の歴史の上でも、最も具体的なレーニン主義的な現実変革の一例である。この歴史的な発展期に「マルクシズム同盟員」のこれまでの考えかたのあやまりが明瞭になったのはこのウォロンスキーの例ばかりではない。やっぱりソヴェトのマルクシズム文学理論家として、モスクワ大学に講義しているペレウェルゼフ教授も、現実によってきびしく批判された。
 ペレウェルゼフの誤謬は、機械主義にあった。彼の考えかたによると、主観は客観条件の全然機械的な反映だということになっている。文学理論にそれをあてはめると、社会の客観的事情が、ただ作家の主観をこしらえるだけで、作家の主観が客観的事情へ能動的に働きかけるという事実は、勘定に入れられないことになる。具体的に云うと、純粋のプロレタリア出身の作家だけが、プロレタリア革命を理解し、プロレタリアートの党としての共産党の意味を理解し、社会主義建設もわがものとして実感する。小市民インテリゲンツィア出身の作家連が、右にそれ、或は反動化するのはソヴェトの現実に反革命運動が存在する客観的条件がある以上やむを得ぬ事実として見よという、主体性のない日和見主義的プロレタリア文学論をでっち上げる結果になってしまう。
 現代ソヴェト文学の各方面に活動しつつある理論家としてのペレウェルゼフと、「ラップ」は熱心な理論闘争をやった。「ラップ」ばかりではない。コムアカデミー内の文学言語部で一九二九年の冬から三〇年の一月にかけて、ペレウェルゼフの文学理論に対する討議が行われた。『文学新聞』『印刷と革命』『文学前哨』などの紙面はプロレタリア文学を前進させるための理論闘争のため澄んだ叫び或は濁った響で鳴り轟いた。
 ところで、最も注目すべきことは、このマルクシズム同盟員たちの文学理論への批判が高まると同時に負けず劣らず旺盛な自己批判が、「ラップ」陣営内に開始されたことだ。

        (3)[#「(3)」は縦中横] ――厳密な自己批判――

 一九三〇年、二月、マップ(モスクワ・プロレタリア作家同盟。ラップの地方組織)大会が開かれた。
 これはソヴェトのプロレタリア文学運動にとって記念すべき大会の一つだった。この大会のとき、マヤコフスキーの組織する「革命戦線《レフ》」及ウェーラ・インベル、セリヴィンスキー等の属する構成派の「ラップ」加盟が問題とされた。一九一七年来功績あったマヤコフスキーと構成派に属する若い二三人のプロレタリア作家が「ラップ」にうけ入れられた。
 五ヵ年計画の実践をとおして、階級意識を一層たかめられたソヴェトの勤労人民は、マヤコフスキー一派の、言葉の英雄主義では満足しなくなった。構成派が革命に対するインテリゲンツィアの任務を過大評価している点、的はずれな機械力への讚美、生産労働に対する異国趣味を、はっきり批判するようになって来た。成長した大衆からの批判は、これ等団体の自己批判を刺戟し、「ラップ」加盟の動機となったのだ。
「ラップ」は新しい加盟者たちが、彼等との共同戦線において更にプロレタリア・イデオロギーの把握に努力すること、そのまんま入って来て、そのままにのこるのではなく、実践に於てよりよい階級の文学的闘士であることを証明すべきことを条件として、この加盟を歓迎した。
「鍛冶屋派《クーズニッツァ》」も合同案を提出した。が、これは、「ラップ」が、その中から或る数人だけの参加を可決したのに対し、「鍛冶屋派」は、団体全体をそっくり合同させたい希望で、大会では決定しなかった。(後、「ラップ」の詮衡委員会が組織され、この問題の実際的解決に努力している。)
 さて、「ラップ」陣営内における自己批判の問題だ。「一週間」の作者リベディンスキーは、ソヴェトのプロレタリア作家として、世界的に知られている。彼が「英雄の誕生」という長編を雑誌に連載しはじめた。丁度、五ヵ年計画の実践によってプロレタリア・リアリズムの問題が発展しつつある時だったので、この大作は、サークルをこめてすべての文学陣営から非常な注意をもって迎えられた。
 同じ「ラップ」に属する詩人で、ベズィメンスキーという人がある。詩人の中での重鎮だ。彼のもっている文学理論が、これまでも頻りに「ラップ」内で批判の目標となった。例えば、彼に詩劇「射撃」という作がある。ソヴェト五ヵ年計画開始とともに、或る電車製作工場に生産能率増進のウダールニクが組織され、若い男女のコムソモールを中心とする工場内の自発性《イニシアチーヴ》が、どんな階級的闘争を職場で経験したかという歴史を扱ったものだ。
「射撃」の主題は、再建設期のソヴェトの現実からとられている。それはよろしい。「ラップ」内で問題になったのは、その活きた社会的主題を、ベズィメンスキーがどう解釈したかというところにあった。
 ベズィメンスキーは、工場内のウダールニクと妨害分子とを、単純に赤色の善玉悪玉式に対立させた。階級的悪玉は、はじめっから終りまで悪玉。善玉の方はと云えば、どんな小さい誤謬も犯すことのない綱領的な存在として、「射撃」の中に描写されているのだ。「ラップ」はその点に現れているベズィメンスキーの非現実的な機械的党派性を指摘した。
 職場のウダールニクが、妨害分子の中に必ずまじっているに違いない中間的なフラフラ分子の中を、出来るだけ建設戦線へ引きこんで、捏《こ》ね直そうと努力してない「射撃」の描写は、非現実的だ。党はウダールニクに、そんなセクトの戦術は指
前へ 次へ
全7ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング