令していない。また、この戯曲の中で集団としての反革命的な労働者たちが、終始一貫、気のそろった獣《けだもの》たちで、社会情勢の推移によって当然起る矛盾や動揺、分裂をちっとも示していない。これも、社会生活の実際とは違う。――
 こういうベズィメンスキーの機械的マルクシズムを、リベディンスキーは、「ラップ」の中でも、盛に批判した。
 その大衆的批判に向って、ベズィメンスキーは、元ペレウェルゼフ派の理論家ベスパーロフと、共同戦線をはった。ベスパーロフは、理論上清算はしたが、機械主義マルクシストの欠点をすてきっていない。彼に云わすと、「現実には、肯定と否定の両極しかない。善と悪。ソヴェトの現代ではそれがハッキリ分れている。」ベスパーロフが限定している芸術家の任務は、「その両極の尖鋭化された争闘を描写することを自得することだ。」そしてベズィメンスキーは、「射撃」における革命的善玉悪玉の飛躍で、「唯一の」階級的芸術家の任務を自得したと信じた。
 だが、誰にでもわかる通り、これは誤った極左機械主義だ。「ラップ」が、現実から闘いとったプロレタリア・リアリズムの本道は、こういうところにはない。そこへリベデ
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