的組織もないと。農村集団化の問題は困難な実践だ。ソヴェトの作家たちでも、富農撲滅の必然性を把握することのできないものが少くなかった。一九二一年の新経済政策以後は、農民に雇傭労働の自由や、土地の賃貸借、収穫物の自由売買等が許され、それが段々農村に於ける資本主義への後もどりとなった。その結果一九二七・八年、秋、政府は、富農の妨害にあって、麦の買いつけに大困難し、一種の強制買付を行った。
「だが、富農は遊んで食って富農になったんじゃあない。彼等はつまり他の農民より稼ぎ手だったと云うに過ぎない。ソヴェトに彼等は必要だったのだ。それをどうして今急に撲滅しなければならないのか?」多くのものがこう云った。が、そういう人たち自身がその答えを与えているではないか。問う人自身が既に、「ソヴェトに彼等は必要だった」と云ってるではないか。とりも直さず、彼等の必要はもう過去のものとなっていることを語っている。情勢は推移する。社会主義建設に向って推移しつつある。嘗て「成金《ネップマン》」は個人資本をソヴェト生産内に流用したことによって役に立った。しかし、今日誰がネップマンの必要を認めるか。ネップマンが、儲け専一の
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