然主義と、低徊的心理主義とで、「同伴者《パプツチキ》」は、自身の同伴すべき道から逸れはじめた。
 そこへ五ヵ年計画がはじまった。そして「赤い木」の事件で、「同伴者《パプツチキ》」は最後の限界につき当った。
「赤い木」というのは、「同伴者《パプツチキ》」の旗頭、ピリニャークの小説だ。一九二九年にそれを書いて、ピリニャークは原稿を『赤い処女地』の当時の責任編輯者ラスコーリニコフに見せた。ラスコーリニコフは、十月革命当時、軍事革命委員の一人としてレーニンとともに活動した党員だ。彼は、原稿をよんで、政治的な部分は根底から書き直す必要があると注意した。「赤い木」で、ピリニャークは農村の社会主義化、即ちソヴェト五ヵ年計画の意味を決定する根本的な大事業を扱った。それを、全然反動的見地から扱った。「ソヴェトにおける経済政策は都会に於ては革命前の時代からあったものを徐々に食いつぶして行くことを余儀なくさせ、農村においてはそれは裕かな几帳面な一家の主人を、貧農にかえるべく、風の吹きとおすあばら家一つの持主にかえるべく、向けられている。」と。
 おまけにピリニャークは、断言している。我国にはいかなる社会主義
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