ルジョア社会観・文学観と闘いつつ、一刻も早く彼等が革命的プロレタリアートの陣営に参加し得るように導かなければならないとした。プロレタリア作家団に対しては、同年の大会のとき、「同伴者《パプツチキ》」に対して左翼小児病に陥ってはならないと特別にルナチャルスキーも注意を与えている。
その後「同伴者《パプツチキ》」作家たち自身は、どんな自己批判と発展をとげて来たか、どんな態度で、進展するソヴェトのプロレタリア文化に功献して来たろうか。彼等の多くは、本が売れるにつれていつの間にか、書斎の中でヤーエンコしはじめた。革命当時、「装甲列車」を書いたフセワロード・イワーノフは、ロイド眼鏡こそ昔のままだが、気力のない、階級性欠落状態で昔の思い出や個人的な心理描写をはじめた。
現実の生活で、ソヴェト勤労者の日常と次第に遠くなった彼等は、目立たない日常些事の中で若い労働者や農民たちがどんな探求と建設とを行い、未来への闘争を準備しつつ新しいソヴェト人として成長しつつあるか、その生きた姿を認めそれを評価する機会と熱心さとを失った。実際生活が個人主義へ逆転するにつれ、その文学の新鮮さも失われた。あともどりした自
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