う同等の[#「同等の」に傍点]焦点が性にだけ集中されているのだから。ベズィメンスキーの極左機械主義にまけずプロレタリア・リアリズムの本質をゆがめている。
 ソヴェト大衆が盛に「英雄の誕生」について議論し、「射撃」でやっつけられたベズィメンスキーが、今度は逆に、リベディンスキーとその前進性のない心理穿鑿主義をやっつけている四月に、「ラップ」に加盟したばかりだった「革命戦線《レフ》」の詩人マヤコフスキーが自殺した。
 マヤコフスキーは精力的な、熱い、革命の歌いて、詩人だった。彼は前進するソヴェトの社会主義建設の歌いてとして、いつも最前線にいることを欲した。だから、自分が主として組織していた「左翼戦線《レフ》」を、「革命戦線《レフ》」と改めた。再建設期のソヴェトの文学運動において当然指導的な任務をおびる「ラップ」へも加盟した。マヤコフスキーが、詩人として天性の言葉に対する敏感さ、大胆な使用法を敢行する技術を身にそなえているにかかわらず自殺したのは、根本において、ソヴェトの根づよい、建設的なリアリズムが、彼の、詩的英雄主義[#「詩的英雄主義」に傍点]を揚棄したことを意味する。マヤコフスキーの死は、エセーニンの死のように、革命的なプロレタリアートの歩みゆく途からはぐれて起ったものではなかった。彼は、常にプロレタリアートと革命とのために第一線に立って、歩いて、歩いて来たが力つきて、倒れた。疲れることないプロレタリアート大衆は、その屍をこえて更に前へ! 前へ! 社会主義建設に向って前進しつづける。
 真情のこもった大衆の丁寧な、告別をもって、プロレタリア文学史の上の一つの出来ごと、マヤコフスキーの死は弔われた。
「ラップ」内の自己批判は、この事件によっても中断されなかった。
 ベズィメンスキーは、ソヴェト大衆の声高い遠慮ない批判の最前列にたって、六月、レーニングラードに開かれる「ラップ」大会に前進した。「ラップ」は分裂するかと思われた。が、リベディンスキーは自分の誤謬と、大衆の批判が正当であることを承認し、「英雄の誕生」連載を中止した。
「ラップ」は勇敢にこの激しかった内部の自己批判を、プロレタリア文学発展の一過程として、七月の第十六回ロシア共産党大会を迎えた。
 スターリンはソヴェトのプロレタリア文学が、再建設期において益々大衆と生産に接近し、ボルシェビキ化することを演説の中で
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