この作品に対して、まき起ったからだ。
リベディンスキーが、「射撃」の作者に対して、心理描写も、プロレタリア・リアリズムにとって欠くことの出来ない一つの要素だと云った時は、間違っていなかった。「英雄の誕生」でリベディンスキーは、では、どんな階級性や、社会性をもった心理を描写しているだろうか?
党内の或るものや、コムソモールはリベディンスキーを公然と非難した。経験あるボルシェヴィキは、「英雄の誕生」の主人公みたいな解釈や態度を性慾に対してもってはいないんだ。彼等は云った。自分一個の性慾の苦しみを、党の仕事机の前でもってまわって念いれて噛みなおし、味いなおし、さもそれが重大な社会建設の中枢にふれた精神作業だとでも思いこんでいるような間違いはしていないんだ、と。
リベディンスキーは、彼の持論である心理描写において、全く個人主義的な立場での心理穿鑿に陥ったばかりではない。人間の性慾というものの扱いかたにおいて、ウォロンスキーが「世界を見る芸術」という論文で云った一種の生物主義にまで近づいてしまった。ボルシェビキだって人間だ、人間であるからは性慾に苦しむこともある。という人間生物論めいた見解に陥った。しかも、作者は、そういう個人的な心理穿鑿をまるでくどくて飛躍のない、眠ったい自然主義的な手法で叙述しているのだ。
リベディンスキーは、この「英雄の誕生」において、生物としての人間が社会的な[#「社会的な」に傍点]階級人として成長をとげた歴史的な現代のソヴェトでは人間本能=性的慾求、食欲、知識欲という諸要素をどんな自主性と社会的見とおしで処理しようとしているかという事実について初歩的な理解と共感さえもっていないような態度を示した。
リベディンスキーは、「英雄の誕生」の弁明において云った。自分は、この作で、全然新らしい社会的結合としてのソヴェトの家庭の意味を書こうとしたのだ。ソヴェトにおいては家族制度の問題や、家庭内の男女同権の問題はもうすんでいる。男と女とが同等なもの[#「同等なもの」に傍点]として結合したところから発足して、子供を育てるということにソヴェト家庭の持つ全然新らしい意味を捕えようとしたのだ、と。
けれども、この云いわけは、リベディンスキーが連載した小説そのものが曝露している誤謬を訂正しまい。何故なら、リベディンスキーが男と女とが同等なものとして結合する、とい
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