こしらえるだけで、作家の主観が客観的事情へ能動的に働きかけるという事実は、勘定に入れられないことになる。具体的に云うと、純粋のプロレタリア出身の作家だけが、プロレタリア革命を理解し、プロレタリアートの党としての共産党の意味を理解し、社会主義建設もわがものとして実感する。小市民インテリゲンツィア出身の作家連が、右にそれ、或は反動化するのはソヴェトの現実に反革命運動が存在する客観的条件がある以上やむを得ぬ事実として見よという、主体性のない日和見主義的プロレタリア文学論をでっち上げる結果になってしまう。
現代ソヴェト文学の各方面に活動しつつある理論家としてのペレウェルゼフと、「ラップ」は熱心な理論闘争をやった。「ラップ」ばかりではない。コムアカデミー内の文学言語部で一九二九年の冬から三〇年の一月にかけて、ペレウェルゼフの文学理論に対する討議が行われた。『文学新聞』『印刷と革命』『文学前哨』などの紙面はプロレタリア文学を前進させるための理論闘争のため澄んだ叫び或は濁った響で鳴り轟いた。
ところで、最も注目すべきことは、このマルクシズム同盟員たちの文学理論への批判が高まると同時に負けず劣らず旺盛な自己批判が、「ラップ」陣営内に開始されたことだ。
(3)[#「(3)」は縦中横] ――厳密な自己批判――
一九三〇年、二月、マップ(モスクワ・プロレタリア作家同盟。ラップの地方組織)大会が開かれた。
これはソヴェトのプロレタリア文学運動にとって記念すべき大会の一つだった。この大会のとき、マヤコフスキーの組織する「革命戦線《レフ》」及ウェーラ・インベル、セリヴィンスキー等の属する構成派の「ラップ」加盟が問題とされた。一九一七年来功績あったマヤコフスキーと構成派に属する若い二三人のプロレタリア作家が「ラップ」にうけ入れられた。
五ヵ年計画の実践をとおして、階級意識を一層たかめられたソヴェトの勤労人民は、マヤコフスキー一派の、言葉の英雄主義では満足しなくなった。構成派が革命に対するインテリゲンツィアの任務を過大評価している点、的はずれな機械力への讚美、生産労働に対する異国趣味を、はっきり批判するようになって来た。成長した大衆からの批判は、これ等団体の自己批判を刺戟し、「ラップ」加盟の動機となったのだ。
「ラップ」は新しい加盟者たちが、彼等との共同戦線において更
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