にプロレタリア・イデオロギーの把握に努力すること、そのまんま入って来て、そのままにのこるのではなく、実践に於てよりよい階級の文学的闘士であることを証明すべきことを条件として、この加盟を歓迎した。
「鍛冶屋派《クーズニッツァ》」も合同案を提出した。が、これは、「ラップ」が、その中から或る数人だけの参加を可決したのに対し、「鍛冶屋派」は、団体全体をそっくり合同させたい希望で、大会では決定しなかった。(後、「ラップ」の詮衡委員会が組織され、この問題の実際的解決に努力している。)
 さて、「ラップ」陣営内における自己批判の問題だ。「一週間」の作者リベディンスキーは、ソヴェトのプロレタリア作家として、世界的に知られている。彼が「英雄の誕生」という長編を雑誌に連載しはじめた。丁度、五ヵ年計画の実践によってプロレタリア・リアリズムの問題が発展しつつある時だったので、この大作は、サークルをこめてすべての文学陣営から非常な注意をもって迎えられた。
 同じ「ラップ」に属する詩人で、ベズィメンスキーという人がある。詩人の中での重鎮だ。彼のもっている文学理論が、これまでも頻りに「ラップ」内で批判の目標となった。例えば、彼に詩劇「射撃」という作がある。ソヴェト五ヵ年計画開始とともに、或る電車製作工場に生産能率増進のウダールニクが組織され、若い男女のコムソモールを中心とする工場内の自発性《イニシアチーヴ》が、どんな階級的闘争を職場で経験したかという歴史を扱ったものだ。
「射撃」の主題は、再建設期のソヴェトの現実からとられている。それはよろしい。「ラップ」内で問題になったのは、その活きた社会的主題を、ベズィメンスキーがどう解釈したかというところにあった。
 ベズィメンスキーは、工場内のウダールニクと妨害分子とを、単純に赤色の善玉悪玉式に対立させた。階級的悪玉は、はじめっから終りまで悪玉。善玉の方はと云えば、どんな小さい誤謬も犯すことのない綱領的な存在として、「射撃」の中に描写されているのだ。「ラップ」はその点に現れているベズィメンスキーの非現実的な機械的党派性を指摘した。
 職場のウダールニクが、妨害分子の中に必ずまじっているに違いない中間的なフラフラ分子の中を、出来るだけ建設戦線へ引きこんで、捏《こ》ね直そうと努力してない「射撃」の描写は、非現実的だ。党はウダールニクに、そんなセクトの戦術は指
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