批判したこと等においてウォロンスキーは誤っていなかった。
然し、当時からウォロンスキーはプロレタリア文学理論の中に、人道主義の要素をこねまぜる弱点があった。当時擡頭しはじめた「同伴者《パプツチキ》」に対して、彼等に共産主義的なイディオロギーを求めるのは無理だと云った。マルクシストで党員だけれども、ウォロンスキーは、文学好きで、文学の好きかたは芸術至上主義に陥りやすく、彼の文学理論には二元的な分裂がある。純粋の文学と、宣伝文学と二つが別なものとしてウォロンスキーに認識されている。純粋文学制作において、作者の政治的認識は問題にする必要ないという考えが、「ペレワール」の理論的柱となっている。ウォロンスキーのこの二元的な種別はあきらかに間違っている。
現在ソヴェトの作家が社会主義を建設しつつある社会のなかに住みながらその社会から取題して小説を書き詩を書くのに、どうして政治的認識ぬきで、題材の正確な、階級的把握が可能だろう。「ラップ」のキルションが、一九三〇年の党大会における報告演説の中で、「ペレワール」のこの傾向に触れた。「いや、我々は云わなけりゃならない。現在こそ、今までの何時よりも、ソヴェト作家の各層に、政治的立場の決定を要求しなければならない時なのだと。」この発言には前進するソヴェト社会の必然が語られている。
ソヴェトのプロレタリアートは革命以来、目のまわるような十数年を生きた。四方八方で新しい社会への基礎工事がはじまり、そのために有用な知識は、どんなものでも生かして使われた。マルクシストと自称する一群のレーニン主義を理解しないマルクシスト[#「マルクシスト」に傍点]さえ、「マルクシズム同盟員」として、働きを与えられていた。
五ヵ年計画はソヴェトの建設政策の歴史の上でも、最も具体的なレーニン主義的な現実変革の一例である。この歴史的な発展期に「マルクシズム同盟員」のこれまでの考えかたのあやまりが明瞭になったのはこのウォロンスキーの例ばかりではない。やっぱりソヴェトのマルクシズム文学理論家として、モスクワ大学に講義しているペレウェルゼフ教授も、現実によってきびしく批判された。
ペレウェルゼフの誤謬は、機械主義にあった。彼の考えかたによると、主観は客観条件の全然機械的な反映だということになっている。文学理論にそれをあてはめると、社会の客観的事情が、ただ作家の主観を
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