然主義と、低徊的心理主義とで、「同伴者《パプツチキ》」は、自身の同伴すべき道から逸れはじめた。
 そこへ五ヵ年計画がはじまった。そして「赤い木」の事件で、「同伴者《パプツチキ》」は最後の限界につき当った。
「赤い木」というのは、「同伴者《パプツチキ》」の旗頭、ピリニャークの小説だ。一九二九年にそれを書いて、ピリニャークは原稿を『赤い処女地』の当時の責任編輯者ラスコーリニコフに見せた。ラスコーリニコフは、十月革命当時、軍事革命委員の一人としてレーニンとともに活動した党員だ。彼は、原稿をよんで、政治的な部分は根底から書き直す必要があると注意した。「赤い木」で、ピリニャークは農村の社会主義化、即ちソヴェト五ヵ年計画の意味を決定する根本的な大事業を扱った。それを、全然反動的見地から扱った。「ソヴェトにおける経済政策は都会に於ては革命前の時代からあったものを徐々に食いつぶして行くことを余儀なくさせ、農村においてはそれは裕かな几帳面な一家の主人を、貧農にかえるべく、風の吹きとおすあばら家一つの持主にかえるべく、向けられている。」と。
 おまけにピリニャークは、断言している。我国にはいかなる社会主義的組織もないと。農村集団化の問題は困難な実践だ。ソヴェトの作家たちでも、富農撲滅の必然性を把握することのできないものが少くなかった。一九二一年の新経済政策以後は、農民に雇傭労働の自由や、土地の賃貸借、収穫物の自由売買等が許され、それが段々農村に於ける資本主義への後もどりとなった。その結果一九二七・八年、秋、政府は、富農の妨害にあって、麦の買いつけに大困難し、一種の強制買付を行った。
「だが、富農は遊んで食って富農になったんじゃあない。彼等はつまり他の農民より稼ぎ手だったと云うに過ぎない。ソヴェトに彼等は必要だったのだ。それをどうして今急に撲滅しなければならないのか?」多くのものがこう云った。が、そういう人たち自身がその答えを与えているではないか。問う人自身が既に、「ソヴェトに彼等は必要だった」と云ってるではないか。とりも直さず、彼等の必要はもう過去のものとなっていることを語っている。情勢は推移する。社会主義建設に向って推移しつつある。嘗て「成金《ネップマン》」は個人資本をソヴェト生産内に流用したことによって役に立った。しかし、今日誰がネップマンの必要を認めるか。ネップマンが、儲け専一の
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