ブルジョア企業家の滓《かす》であり、ソヴェトの社会建設に入用だったのは彼等の階級でなかったことは明かだ。富農《クラーク》も社会主義建設への過程的な現れだった。それが、前進しようとするソヴェト生産の社会主義化を妨げるほど、階級として過渡に発達したなら、それは揚棄されなければならない。
 ピリニャークは、この事実を理解しなかった。更にそれ以上の階級的裏切りをやった。ラスコーリニコフが忠告した時、この原稿は草稿で、長篇の中へ入れるときは書き直すつもりだ、と云っておきながら、ピリニャークは原稿をそのまま、レーニングラード対外文化連絡協会の手を経て、ベルリンへ送った。白系移民の本屋「ペトロポリス」が、よろこんで直ぐ出版した。
 一九二五年、党は「同伴者」の反プロレタリア的・反革命的要素が「現在では極く僅かしかない」と認め、前述の忍耐づよいテーゼを出したのだ。「赤い木」の場合にピリニャークがとった態度は果して彼の「極く僅かしかない反革命的、反プロレタリア的要素」を示しているだろうか。
 同伴者《パプツチキ》の裏切的な態度に対して、つよい批判を向けたのは、「ラップ」ばかりではない。勤労大衆の中から一般的非難が起った。
 ピリニャークは、生れつき胆の太い男だし、従来、ソヴェト文学の領域で同伴者《パプツチキ》に許されていた地位を過大評価していた。今度は彼もあわてた。理由にならない理由を並べて弁明しようとした。どんな弁明も、明らかにされたこの同伴者《パプツチキ》作家の反革命実践はとり消さない。憤ったソヴェトのプロレタリアートはピリニャークに階級の敵を感じた。
 ピリニャークは、ロシア作家協会の議長をやめた。ロシア作家協会は改造され、名称をソヴェト作家協会とした。これは、ピリニャーク一人が、ソヴェト文壇の目立つ地位から退いたことではない。漠然としたロシア[#「ロシア」に傍点]の作家協会ではなく、ソヴェトの=社会主義社会での文学団体としての本質を明瞭にしたわけだ。
 それまで、「同伴者《パプツチキ》」に属していた若手の作家の或るものは、「赤い木」の事件によって、はじめて自分のいた陣営の正体を知り、「ラップ」に加盟した。

        (2)[#「(2)」は縦中横] ――えせマルクシストの清掃――

 全露農民作家協会《ヴオクプ》というのがある。
 これは、ソヴェトの現実に於て、まだ都会
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