動の光で明るく照らし出され、文学の創作方法として久しく問題にされていたプロレタリア・リアリズムの道が、現実の中から現われて来た。
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* ソヴェトの五ヵ年計画実施とともに現われたプロレタリア文学のこういう形態を、今日各国で、報告文学と呼んでいる。しかし、その命名親は、範疇ずきのドイツ人だ。本家のソヴェトでは、どんな名もつけてはいない。
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「ラップ」は、こうして作家を生産の現場へ送りこみ、大衆に近づき、再建設期のプロレタリア文学としての任務を自得しつつ、一方に他の文学陣営との間に理論闘争を、開始した。
五ヵ年計画を機会に、ソヴェト文学のいろんな流派が、それぞれの本質をあらわにしはじめたからだ。
第一、「同伴者《パプツチキ》」作家団の問題がある。
一九二五年の文学に関する党のテーゼは、注意ぶかくこの問題にふれている。「同伴者《パプツチキ》」作家たちが持っている文化・文学的技術の上に専門家の多いこと、「同伴者《パプツチキ》」団体の内にも必然的な動揺があること。それ等の点を考慮して、「同伴者《パプツチキ》」作家の一部にあるブルジョア社会観・文学観と闘いつつ、一刻も早く彼等が革命的プロレタリアートの陣営に参加し得るように導かなければならないとした。プロレタリア作家団に対しては、同年の大会のとき、「同伴者《パプツチキ》」に対して左翼小児病に陥ってはならないと特別にルナチャルスキーも注意を与えている。
その後「同伴者《パプツチキ》」作家たち自身は、どんな自己批判と発展をとげて来たか、どんな態度で、進展するソヴェトのプロレタリア文化に功献して来たろうか。彼等の多くは、本が売れるにつれていつの間にか、書斎の中でヤーエンコしはじめた。革命当時、「装甲列車」を書いたフセワロード・イワーノフは、ロイド眼鏡こそ昔のままだが、気力のない、階級性欠落状態で昔の思い出や個人的な心理描写をはじめた。
現実の生活で、ソヴェト勤労者の日常と次第に遠くなった彼等は、目立たない日常些事の中で若い労働者や農民たちがどんな探求と建設とを行い、未来への闘争を準備しつつ新しいソヴェト人として成長しつつあるか、その生きた姿を認めそれを評価する機会と熱心さとを失った。実際生活が個人主義へ逆転するにつれ、その文学の新鮮さも失われた。あともどりした自
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