会に生きる人民が機械ずきなのだけは分る。然し、ほんとに、進歩したプロレタリアートが、生産・生活ときっちりむすびついたものとして、科学的な用具としてわがものにした機械らしい活々として真実性のある表現はなされていない。それらからはオモチャとしての、物ずきとしての機械が、先ず感じられるのだ。その意味では現在の機械化の逆諷刺の結果さえふくんでいる。
「風呂《ワンナ》」で、マヤコフスキーは、労働者青年の中からのソヴェト・エジソンの出現、小市民趣味と盲目的な外国、資本主義国崇拝の排撃、最後に社会主義の勝利、社会主義の「風呂」で、はじめて人間がきれいにされるということを主張した。
メイエルホリドは、この六幕の戯曲を、特色のある廻り舞台と、人体力学《ビオメカニズム》とで演出している。
一九三〇年は、あっちこっちの劇場で、廻り舞台を応用した年だった。日本の歌舞伎が一九二八年にソヴェトに来た影響とも思える。メイエルホリドは「風呂」で舞台に一定の直径をもつ円い切り目を入れた。中心部は動かない。そのまわりの相当ひろい輪が、いろんな場面をのせて、グルリとまわる。或るところでその輪は、急速力で一回転二回転して
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