計画とその実現であるソヴェト五ヵ年計画とその完成に向って捧げられているソヴェト大衆の団結した努力、意志は、大詰の舞台では表現されず花形舞踊手一人の手でふりまわすヴェールの幅だけに萎縮されてしまった。
 現代のソヴェトに於て筋肉たくましい二百人の青年が、スポーツ・シャツと股引といういでたちで、徒《いたずら》に台の上に並んで腕組みをしたまま、勝手に跳ねる石油や石炭を傍観しているというような情景は、全く観客の共感をよびおこさない。むしろ腹立たしく思わせる。
 我々の一列前に、大毎のモスクワ特派員が来ていた。幕間に、わたしたちに向って、
 ――どうです?
ときいた。
 ――さあ。
 ――なかなかよく踊りますね。
 そして、クリーゲル一行七人かが、最近日本へ出かけることに略《ほぼ》確定したと云った。歌舞伎がモスクワへ来たおかえしみたいな意味なのだそうだ。
 ――クリーゲルは何しろ「人民芸術家《ナロードヌイ・アルチスト》」だからきっといいでしょう。
 わたしは、日本の大衆がソヴェトからの芸術として待ってるものは、ただ「よく解る」ということや称号ではないと信じる。
 クリーゲルが行って、七円も八円も
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