うことだ。
オペラがつまらなくては、西洋音楽がわからないのかと思っていた。でも、モスクワできき、ベルリンできき、大いにやかましく云々されるスカラ座のオペラをきいて、オペラという音楽の形式そのものが過去のものになりかかっていて、我々には退屈な部分があるということを云ってもあやまりとは考えられないことを発見したのだ。
オペラを生んで、これほど大規模なものに育てあげたワグナー自身がドイツ皇帝ウィルヘルム一世にあてて書いた手紙をよむと、きょうのわれわれのオペラへの疑問が説明される。
ワグナーは晩年には、音楽は民衆をたやすく統治するための有効な手段だと皇帝に書いて、オペラの隆盛を援助させた。愚民政策としてすすめている。しかも一九三〇年には生みの親のブルジョア社会の感覚が古典的オペラへの興味からくずれ出してレヴューだの軽音楽と、うつって来ているところがある。オペラとバレーがどしどし新形式を発見せず、主題においても停滞しているのに第一次大戦後からより近代的なアメリカの興行資本家によって提供されるレヴューが派手にドンドンのびてゆくのはブルジョア社会の崩壊期に入った文化の必然な現象なのだ。
ソヴ
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