批判されなければならないものだ。二百人もの「青年」を立ちん坊にだけ、背景の代りにだけつかったことは、舞台監督の上手下手をこえて社会主義の社会での芸術というものの本質についての認識不足を示している。こけおどしの舞台効果のために、人間のエネルギーの浪費が平気でされているとは「ゴトブ」の舞台認識の中にブルジョア劇団の因習がのこっている証明だということを、彼等は理解しているだろうか。テーマに対して群集の有機的な活かしかたこそ、芸術座の「装甲列車」を成功させたのに。
 大体、日本にいるとオペラを見る機会がごく少い。いつもレコードでオペラの音楽の抜萃を聞いているぐらいだから、音楽としての美しさだけをつよく局部的にうちこまれる。ハルビンあたりから来たロシアオペラだって、人々は、高い金をだして聞いた。
 モスクワへ来て、大ものの「ボリス・ゴドノフ」も「サドコ」も「デモン」も舞台から聞くことが出来、バレーもいろいろ観た。そしたら、日本にいたときとは違う考えをオペラやバレーに対してもつようになった。
 概して昔ながらのオペラというものは、既にソヴェトの生活にぴったりした芸術形式ではなくなってしまった、とい
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