じめる。銀色の女がヒラヒラととび出して来る。独り舞踊をやる。――これがソヴェトの「電化」であることを理解しなければならぬ。
パッと照明がかわると、滝は忽ち燃ゆる焔の輝きだ。焔色の装をした男がそこいら中をとびまわる。
「石油だ! 石油だ!」見物席で謎をといたという風にそういう声がした。
鉄、石炭。五六人の男の踊り手が、黒い装で、ちょんびり人体力学《ビオメカニズム》の真似をやる。
が、諸君、おどろくな。この最後の一幕を通じて、凡そ二百人ばかりの、白いシャツを着た大群集が(プログラムによればスポーツ青年たちだ)順ぐり高さの違う台の上にキレイに立ち並ばせられたまま、滝が落ちようが、石油が燃えようが、ろくに足一つ動かさず、終に幕という想像外の事実があるのだ。きっとこれはアメリカの大レヴューの舞台が裸娘のダンピングをする真似だろう。
一七七六年以来の第一国立オペラ舞踊劇場だ。今更「青襯衣《シーニャヤ・ブルーザ》」劇団やメイエルホリドの真似でもない。独特の訓練と技術とが活かされなければならない。
しかし、この「蹴球選手《フットボーリスト》」の舞台に現れた破綻は「ゴトブ」にとって、厳密に自己
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