古いことだが、プドフキンが映画の「生ける屍」で主役をやったことがあったね。監督も自分だったろう? するとどうなるんだろう。両方分で千何百ルーブリか?
 ――さあ、どうなるんだろう。わからないな。そういう場合は。――だが、こんなこともあるよ、エイゼンシュテインが「戦艦ポチョムキン」を撮影した時、老いぼけた坊主が十字架もって出て来るんだ。反乱が起って坊主は勇敢な水兵に追いこくられ、艦橋《ブリッジ》からころげおちるところがある。エイゼンシュテインのことだから、ほんとに、老いぼけてひょろひょろな坊主見つけて来たんだって。いざ、高いところからころがる段になって、骨があぶないってわけさ。本物ではね。エイゼンシュテインが、直ぐ坊主の装をして、俺が落っこちてやるって、簡単にころがりおちちまったんだとさ。
 ――無料で、ころがりおちまでした例だ。
 ――ハハハハ、さっぱりしているな。ところで芝居の話へ戻るんだが、職業組合に入っている勤労者は半額で見られる。お前みたいな外国人はどうするんだ?
 ――芝居の窓口へ行くのさ。そして、その日の、または前売切符を買う。一九二八年頃、おもだった売場にある案内所が切符一枚について十五カペイキか二十カペイキの手数料をとって切符のとりつぎ販売をしていたことがある。この頃それはない。
 ――割引なしか?
 ――なしだ。だから、行った当座は高いのに閉口して、舞台から遠いところを買った。観えはするが科白《せりふ》がわからない。降参して、しまいには段々近くまで進出した。
 ――電話かけて切符を届けさせることは、出来ないのか?
 それはしない。こんなことがあった。劇場は市じゅうとびとびだからね、いちいちそこをまわって買うのは骨なんだ。時間がえらくかかる。その上前売切符を売る時間が、まちまちだ。そうかと云って、其日では、手に入らない。誰かから、国立第一オペラ舞踊劇場の後に、まとめて各劇場の前売切符を売ってるところがあるってことをきいた。行って見ると、成程ある。狭い入口の外へはみ出るほどの男女がいく重にも列をつくってしずかに順を待っている。普通十日ずつの上演目録が往来などには出ているが、ここではもう十日先のつまり二十日間のプログラムまではり出されている。それを見る時は、嬉しいんだよ。
  人込みの間をやっと、のびあがってプログラムを調べ、見たいと思うのを手帳へかきつけ、一時間ばかり列に立った。体の大きいソヴェト市民が標準だから窓口が高い。チビは、そこへのび上ってね、後から急《せ》き立てられながら、欲しい劇場の日どりと坐席の列番号をのべたてる。「売れきれです」「それは三階の後から二番目の席しかありません」そんなことでやっと二箇所の切符が買える段になって、窓口の女が云うんだ。「手帳をお出しなさい」自分はわからないのさ、芝居の切符にまさかパンと肉の手帳でもないだろうし。――「どんな手帳です?」「職業組合の手帳ですよ」「私は組合員じゃないんです」「何か手帳はありますか?……でも……」その女は親切なんだ。そう訊いてくれたから、はい、といって出したよ。大日本の外国旅券を!
 ――パスポートを持って歩いてたのか?
 ――ああ。そしたら、その女は笑ったよ、そして「まあいい」って云った。後からこの様子を見下していた大きい労働者風の男が、「そうとも! それだって一種の手帳だ」と云った。笑っちゃった。
 ――切符貰えたか?
 ――貰えたとも! しかも半額で。……そこは職業組合員のためだけの、切符取次所だったのを知らなかったんだ。
 ――パリでも芝居見たか?
 ――見た。
 ――ドイツでは?
 ――見た。
 ――ソヴェトの劇場と比べてどうだね、面白さは。
 ――ドイツの演劇では、機械的な技術がすぐれてるだろうし、演劇の歴史でソヴェト演劇と近い関係があるんだろうが、びっくりさせられるような点がなかったな。実はびっくりしたかったんだが、そういうものには出会わなかった。ラインハルトの近代ロココ趣味や、ピスカートルの上手さあまって反社会主義的効果をもたらしたようなものを見た。
 ――パリのグラン・ギニョールを見たか? 有名じゃないかあれは、ああいうものはソヴェトにあるかい?
 ――無くて仕合わせだ。ひどいので、その点でびっくりした。凄くも、こわくも、綺麗でも、きたなくもない。うんと陳腐な所謂変態心理と性慾を、最も拙劣な筋書きで見せてる。
 ――レヴューは?
 ――ソヴェト式レヴューがあるよ。
 ――オペレットは?
 ――ある。でも、やっぱりソヴェト式だ。
 ――……ついでだから、どうだい一つ見て来た芝居、例えば、モスクワ芸術座なら芸術座、МОСПС《エムオーエスペーエス》それぞれについての印象を話してきかせないか?
 ――素人だからな。……でも、若し興味があ
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