わず中国のプロレタリアートと一緒にその横暴ぶりを憤慨してしまった。
メイエルホリド劇場は、一体に研究心がつよい。革命直後、メイエルホリドが南露からモスクワへ帰って来て、教育人民委員会の演劇部議長になってから段々今日までやって来た仕事ぶりを見て、それはハッキリ云える。
ソヴェトの劇団を揺すぶりかえした有名なゴーゴリの「検察官」の全然新しい演出。失敗に終った「知慧の悲しみ」の同じような試み。ただ物ずきでメイエルホリドはそれ等をやったのではなかった。十九世紀の「検察官」の記念碑的内容を、ソヴェトの音で、ソヴェトの形で、社会主義建設にたずさわるソヴェト・プロレタリアートの社会的自己批判にたたきつけようとしたものだ。
実際、メイエルホリドの「検察官」をはじめて観るといい加減びっくりする。最後の幕切れに、昔からの「一同仰天」の型で一応きまる。がメイエルホリドはそこで幕にしない。つづけて直ぐ市長が発狂する。ピーピーつづけざま呼笛が鳴る。狭窄衣がとび出す。赤いプラカートがスルスルと舞台一杯におりて来て、舞台からとびおりて俳優が観客席の間を右往左往、小鬼みたいに叫びながら馳けずりまわり、パッとそれが消え、再び舞台が明るくなったと思うと、映画のフラッシュ・バックの手法で、そこにもとのまんま「一同仰天」の型で何とも云えずかたく人形ぶりで凝固した例の市長夫人、郵便局長以下の面々がいる。
オヤ、本物かしらん? それにしては早がわりすぎる。何だかへんだ。――人形だ。とわかった瞬間、舞台は真暗になって、見物の心には、焔で引っかきまわしたような、
検察官が来た! 検察官が来た!
ピーッ! ピーッ!
という印象と、仰天したまんま人形にまでかたまってしまった市長夫婦以下、郵便局長なんかの姿が、頭痛のする程強烈な感銘でのこされる。
検察官が来た! 社会主義の検察官がやって来た! ピーッ! ピーッ! そして、そういう検察官の到着にびっくりして固まっちまう種類の人間群が、階級として、典型として人形にまですっかり固定されたことを感じるのだ。
「検察官」の大詰におけるほど印象的で強烈な大詰を、メイエルホリドは、ほかのどの脚本にもそう度々は繰りかえしていない。
「検察官《レビゾール》」では、本舞台の上へ後へ行くほど高くて幅の狭ばまった、扇形の斜面置舞台がつくられている。その病的に、薄暗く、しかしつよ
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