ソヴェトに於ける「恋愛の自由」に就て
宮本百合子
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(例)[#地から1字上げ]〔一九三二年一月〕
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ソヴェトは恋愛が自由である。
フランスも自由である。
そこでどう違うかということは、資本主義末期の個人主義的に恋が御互を拘束しないということから起って来る恋愛の自由だ。
男が或る女と関係して、嫌になって捨てる。女が妊娠しても男は責任を負わない。
それでも女は訴えるところがない。フランスの恋愛技術は男より数の多すぎる女の経済的必要から進歩して居るかも知れないが、社会的にはそういう風な個人的なものである。
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ソヴェトは恋愛が自由だというが、それは何故かというと、男も女も経済的に独立した社会人であるから、社会人としての責任は各自自分が負うから、そこで自由だということになって来るわけだ。
恋愛はいくら自由だといっても、男が女と関係して姙娠したり、子供を生んだりした時雲隠れしてそれで終れりとしてしまうことは出来ない。
子供
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