常に男が働いて居るところには女が働いている。又女の働いて居るところには常に男が働いて居る。だから男と女がまるで違った分野で違う給料で働いて暮すというようなことは、ソヴェトの若い人間にはそういう社会内に生きる男女の感情を知らない位だと思う。
             *
 それで恋愛の表現等でも、パリとモスクワと違うところは、例えばパリは引け時間、地下電車の入口に立って見て居ると、女が先に来て改札口で待って居る。すると若い男が来る。互に抱き合って長い間接吻して、女と男と別々の方へ別れて行く、そういう表現をフランス人はする。
 が、ソヴェトの若い人間は往来で接吻するようなことはない。第一そういうものに対する解釈、そういう恋愛技術というものに対する考え方が全然違う。
 ソヴェトでは個人間の恋愛関係は、生産単位として各人を要求して居る社会の前に提出すべき第一の問題でないからそう云う点は考え方が違う。
 仕事の為にどっかへ互に別れて行く。これは当然だ。
 第一そんなに吸い付くということは衛生的でない。口の中には沢山のバチルスをもっているというようなことは子供の時から教えられて居る、そういうス
前へ 次へ
全8ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング