結びつけた共産主義教育というものをやっている。その中で個性がどうなるかという問題だ。個性の尊重というのは、要するにどういうところに、どんな風に個人の特殊な才能が現れるのかという表現の問題だ。或る一つのことに対する各自独特の表現が個性の表現である。その表現は各人の声の違うように違うはずである。で小学校はどういう教育をしているかというと、主題は一つだ。それはどういうことかというと例えば学年のプランが「春」という題を出す。そうすると、春は大人が都会及農村でどういう働きをするか、大人の働きを子供がどういう風に助けて働くかというテーマを出して、実際問題と結び付けて教えて行く。
 教育は労働と結び付いたものだから、労働を主にして生産と人間との関係、自然と人間との関係を明かにしようとするものだから、春という題も、「春は霞がたな引きて」というのでなく、春大人は野に、都会にどう働くか、また子供はそれをどう助けるか問題をそういう視点から見てゆく。例えば春子供達は公園へ鳥の巣をかけにゆく。こういう社会的労作を現すのに或る子供は文章を書く、或る子供は作文が出来ないから絵で画く、また或る子供は雑誌を見たところが
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