本などではこういう準備行動が非常に多過ぎるから、女が割合に進まないのではないか。また男がそういうことに所謂趣味を要求し過ぎると思う。
今ソヴェトにあっては、洗濯とか食事を共同でやる場所の数が足りないということが欠点で、厨房工場でも、日に何万人というほどの食事を用意する。そういう大仕掛でなかったら意味をなさない。こういうものが若しモスクワならモスクワの一つの区毎に二つも三つもあれば、個人の台所は全然必要はない。ところがまだそこまで行かない。モスクワ市中に五ヵ年計画の終りに五つか六つの大きな厨房工場が出来ることになっていて、それでも結果は大したもので、今でもそういう風な公共の食事場で食事をしている人間の数というものは大変に多い。一九三〇年に一日平均百三十万人の人間が公共的食事をやっている。
五ヵ年計画の終りには、都会に於ける七十五パーセントの労働者とその家族五十パーセントの料理を公衆食堂でもって賄うことが出来るようにしようという理想でやっており、着々進んでいる。この台所工場はモスクワとイワノボズネセンスク(ここは非常に大きな工場市だ。)それからニジニノヴゴロッド、ドニエプロペトロフスク
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