う風に導いて行くかというとこんな風だ。
 例えば集団的生活の中で或る困難が起る。子供達が遠足に行ったとする。そうすると河があって、どうしてもその河を横切らなければ、停車場へ行って汽車に乗って帰ることが出来ないのに船が一つもない。見渡したところ橋もない。だけれども汽車の時間は切迫する。子供はどうしよう。そこで皆んなが智慧を出し合い、その中に賢い子供がいて、一つの手段を発見する、例えばあそこに大きい板と棒や何かがあるからそれで筏をこしらえて渡ろうということを提議する。そうするとその子供の智慧も立派に個人的な発見として集団の中に役立つ。それでその子供一人がいい子になるのでなく、皆んなが便利を受けて、子供の智慧で皆んなの生活を生かす。そういうように教えて行く。
 例えば空想でも、鶴に乗って空を飛んだということでなく、サア我々は今飛行機に乗ったよ。下を見ると、モスクワにはどんな工場がいくつあって、そうして発電所がある。その発電所と我々のところの電燈とどういう関係があるだろう? 誰か知ってるか? そういう風に、子供はどんどんそういう事実から想像することが出来る。
 何も、大人が特別に自分達の生活に
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