めの読物、或は子供のための芝居、子供のための音楽、そういうものを大人が考えて、大人が自分のセンチメンタリズムでこね上げ、子供に当てはめて、甘いものにしたり、非常に程度の低いものにしたり、荒唐無稽のものにしたりする大きな間違いをしていない。
 それが興味のある点で、それは子供のための文学、所謂お伽話というものについても云える。お伽話というものは、例えば巖谷小波がこの正月にラジオで放送したああいう山羊の仙人というような話は、子供の話としてソヴェトにはないわけである。何故ないかというと、そういう風な全然子供自身が大人から聞かなければ知らないような、そういう幻想、それから変な射倖心、例えば鍬を借りて土を掘ったら金が出ましたという、そういう個人的射倖というものを主題にしたもの、それから個人的な名誉心を唆かすようなもの、例えば一人の子供が一生懸命勉強して、皆なを押しのけて、ひとりだけ一番いい子供になりすましたという、そういう観念、そういうことを話の中から抜き取ってあるわけである。
 勿論子供の向上心、好奇心というものを生かし大体子供そのものが連想の早い、空想的なものであるから、そういうものをどうい
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