は操り人形になって来る。技術の上で非常に進歩的に、真面目に芸術的な効果の強い演出をやっている。
その舞台の恰好は特別な恰好で、古代ギリシャの舞台、お能の舞台のようで、三方があいて、それが観客席に突出ている。それだから観客の中から舞台に非常に密接だし、必要なときは舞台をどこまでも拡大することが出来る。舞台がそういう形だから、観客と舞台の上の出来事が近くて、差別がはっきり分らないので、その場合非常に舞台と観客とを結び付けることが出来るわけである。そこではやっぱり大人の劇場と同じに、舞台装置の模型を作っていろいろなものをやっている。外国の翻訳もやり、ロシア作家のものもやる。
それで興味のある点は、いつでもソヴェト全体が、生活の目標として、努力の目標としている点を子供にも理解させて、子供が大人の生活と同じに、自分が社会の一員として感ずるように、脚本を通して教育して行くということと、それから主題の扱いかたに全然欺しがない。子供を甘やかしていない。勿論分り易く扱っている。だけれども、社会主義的な見地は一歩も譲っていない。共産主義的な点で押して行く。そこが興味がある。
外の国みたいに、子供のた
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