かというと、フランスが恋愛が自由だということは、資本主義末期の個人主義的に恋がお互を拘束しないということから起って来る恋愛の自由だ。男が或る女と関係して、嫌になって捨てる。女が姙娠しても男は責任を負わない。それでも女は訴えるところがなく、セーヌ河へ赤ん坊をもって飛込むという恋愛、フランスの恋愛技術は男より数の多すぎる女の経済的必要から進歩しているかも知れないが、社会的にはそういう風な個人的なものである。
ソヴェトは恋愛が自由だというけれども、それは何故かというと、男も女も経済的に独立した社会人であるから、社会人としての責任は各自自分が負うから、そこで自由だということになって来るわけだ。恋愛はいくら自由だといっても、男が女と関係して姙娠したり、子供を生んだりした時雲隠れしてそれで終れりとしてしまうことは出来ない。子供の哺育費というものは男の月給の中から職業組合を通して取られる。それだけの社会的義務がある。若しその男がずるくて女が補助費を貰えない場合は、裁判をして男の親があれば、その親の家から子供の哺育費を取ることが出来る。(併し土地には手を触れることは出来ない。何故ならば、土地というも
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