というものもあって、これは非常に興味がある。併しこれはソヴェトには適用しない。何故かというと、アメリカの大量生産と、ソヴェトの大量生産とは目的が違う。性質が全然違う。アメリカは安い商品を如何に多く市場へ販売するかという資本家の慾に発足した商品の大量生産であるが、ソヴェトは目下非常に購買力の高くなったプロレタリアに如何に早く多くの購買力を充たすかという点から起って来る大量生産だ。まだ経済的に余裕がないし、時間的に余裕がないから、従って非常に細かい趣味というものを区別して造って行く余裕がない。
 ソヴェト・ロシアはプログラム一点ばりで進んで行く。それで無理が生じ、やがてその究極はと考えるものもあるが、ソヴェトでは二年前に出来たプログラムがそのまま五年間も持続されるというようなことは全然ない。ソヴェトの実際方針は根本的には一本であるけれども、弁証法的に非常に弾力をもっている。それだから一本調子でやって行くといっても、目的があって、そこへやろうという意味において一本調子であるけれども、或る人に云わせれば、どこに終局の目的があるか分らないという位、弾力をもって強く柔軟にやってゆくのです。
 優生
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