して行ける程度の寛和、或は弛緩を加えて居ります。従って、群集の各人は、箇性の力に明かな局限を認める事に馴れ、其の局限の此方でする活動が、結局は夢想でない今日の現実に於て最も有効である事を滲み込まされます。其で、所謂賢明な者は、相当に一般を首肯させる理論を前提として、最も安全な現状維持を主張致します。此の傾向が、“Against the Convention of Unconvention”を称する一群の動機に大きな関係を持って居る事は争われないのでございます。箇性の各種の発動を自由ならしめる為の社会組織は、その物質的圧迫、或は群集の常識的低見の為に、却って伝習的形式の下に尊むべき箇性を従属せしめようと仕兼ねない価値顛倒に陥って居るのでございます。
私は勿論、前にも其と同様の心持を陳べた通り、或ものを、其が只歴史的存在だからと云うのみで否定したり、或は、単に一般的であるからと云う理由のみで拒絶する、浅薄な反動的態度は肯定する事が出来ません。そう云う態度に出る者の裡の不純さと、粗雑さとに私は心を悦ばす事は出来ません。其等の欠点を反省して、より純真な、より高い価値を持った動機に依って、常套打破を試みようとする意向と努力とが含まれて居れば、私も、Unconvention の持つ常套《コンベンション》に対する反抗を認めますでしょう。然し、此の一群の人々は、此の標語を振りかざして、単に常套に堕した現状維持につくから、私はよろこぶ事が出来ません。白熱した純一な動機から、無意味な、価値の怪しむべき常套を破る丈の心力が乏しい、その魂の無力を、率直に謙虚に承認し得ない虚栄心から構えた理論が私の心を苦しめます。
「無為の聖」が、力の欠乏を装飾する用語になるべきではございません。人類の愛に対する不真実を、哲学的偽瞞で被うのは卑屈でございます。
私は、現今、米国の女性の生活を非常な勢力で支配して居る此の傾向を打破って、真実な意味に於ての常套打破を期待して居るのでございます。
反動的衝動であってはなりません。自暴自棄の粗暴であってはなりません。若し其が真の価値批判に於て高価なものであるなら、所謂現代が嘲笑する伝統に晏如として自信ある認定を与えながら、如何に喋々され、絶叫される傾向であっても、其が無価値ならば、最後の唯一人として否定し得る、其の定見が総ての点に欲しいのでございます。
此を若し私共が持つ事が出来れば、私共は真個に人格者として自由になれます。人格者として保有すべき権能に対して尊敬すべき其の主権者となり得ますでしょう。私は米国の女性が人類の一員として享有する権能の論理的価値を認め、将来によき魂に偉大な光彩を与え得る可能のより多くより確実である事を認めずには居られません。然し、現今の一般が其等権能に対して居る態度は私に満足を与えません。皆道程にのみ即して居ります。或は徒の形骸にのみ虚勢を張って居ります。
其故、私は未だ米国婦人の獲得した権能を所有しない日本の女性は、其の権能を要求し、獲得し、運用する場合に、より純一で、より高い動機で総ての行為が支配される事を希うのでございます。
C先生、今もう少しで私は可成予定より長くなった。雑信第二を終ろうと致して居ります。
此の裡へ、私は兼てから思って居た種々の事を書き込んで仕舞いました。普通、米国の婦人の評される場合に使われる、活気があるとか、愛嬌があるとか申す事は、私は書きませんでした。其等は末端の些事だと存じます。生活の真実の価値は、只快活さと、活動的と云う文字で計られるものではないと存じます。私はいずれに仕ても、生活の根本から洗練された純化されたいのでございます。常套、常套、而して常套と幾重にも重なった裡から、何にも染まらない「そのもの」を見出しとうございます。けれども、C先生、私がよく申上た通り私は自分で、渾一の如何に偉大であり、又如何に至難な事であるかを知って居ります。知って居る事は愛でございます。
私の米国婦人が権能を持つ事、その事には肯定出来ても、其の運用の不純さに飽き足らず思うのは、此の純一の燃焼への憧憬があるからでございます。
私が若し仏蘭西《フランス》へ行ったと致しましたなら、拉丁《ラテン》民族の優雅な、理智と感情との調和に必ず心の躍る歓びを感じますでしょう。然し、私は矢張り其裡の不純を感じて、「けれども」と云う何物かを発見せずには居られませんでしょう。
何処にでも、人間の存在する限りの地上に、此のよかるべきもの、裡に含まれた其の否定があるのでございます。そして其丈の否定が私の心に意識される以上、私自身の裡に、如何程明瞭に、恐ろしい程明瞭に照り返して居るかと申す事は御分りになりますでしょう、皆の努力でございます。各自の心が、真剣に鞭撻し沈思すべき一生の問題でございます。私は、総ての魂の上に、よき沈思と、燃焼と而して飛躍とを祈って筆を擱きます。
[#地から4字上げ]一九一九年八月二十六日
[#地から2字上げ]レークジョージにて。
雑信(第三)
(其一)
C先生。
其方《そちら》は如何でございますか、此の紐育《ニューヨーク》から二百|哩《マイル》程隔った湖畔は、近頃殆ど毎日の雨に降り籠められて居ります。或時は、俄に山巓を曇らせて降り注ぐ驟雨に洗われ、或時はじめじめと陰鬱な細雨に濡れて、夏の光輝は何時となく自然の情景の裡から消去ったようにさえ見えます。瑞々しい森林は緑に鈍い茶褐色を加え、雲の金色の輪廓は、冷たい灰色に換ります。そして朝から晩まで、一重に物懶く引延ばした雲の彼方から僅かに余光を洩す太陽の下に、まるで陰翳と云うものの無い万物を見るのは淋しゅうございます。五月の末に此方に来た時は、紫紅色の房々としたライラックがまだ蕾勝ちで、素朴な林檎の花盛りでございました。其からぐんぐんと延び育った熾な夏は僅か二箇月でもう褪せようと仕て居ります。私が大きな楡の樹蔭の三階で、段々|近眼《ちかめ》に成りながら、緩々と物を書き溜めて居るうちに、自然は確実な流転を続けて居ります。今も恐るべき単調さで降りしきって居る雨が晴れたら、地上はきっともう秋に成って居りますでしょう、雨が好きな私も、毎日毎日同じ水気と灰色とで溺れたような景物を眺め暮すのは、少し飽き飽きした心持が致します。――
C先生。
もう三時間許り前、私は此処まで陰気な机に向って書き進めました。けれども、余り気分が冴えないで若し其儘進んだら如何那に物懶いものが出来上るか分らないと思ったので、其処まで書いてペンを擱いて仕舞いました。そして暫くの間或雑誌に出て居る、日露戦争当時 Peace Maker として働いたルーズベルトを中心として各国が往復した手紙を読みました。(此は余談ではございますが、当時大統領だったルーズベルトを中心にして、動いた各国王、特に露、独の心持は人間の生活の一断面として面白うございます。非常に面白うございます。不幸な露国皇帝が彼の死を死んだ運命の尖端《きっさき》は、非常に微細な片言の裡に変形して現われて居ります。)
其から御飯を食べ、又少し本を見て、今改めて机に向った私は、もうすっかり先刻の重圧からは脱して、活気に満ちた心と、頭とを持って居ります。本が面白かった許りではなく、僅かな時の間に、彼程退屈だった雨が急に晴れ上って呉れた事がすっかり私の気分を明るく仕たのでございます。
澱んで居た雲が徐々に動き始めました。絶壁のように厚い雲の割目から爽やかな水浅黄の空が覗いて、洗われた日光がチラつく金粉を撒き始めます。此の軽い大気! 先生、うんざりする雨の後に、急に甦って輝く森林や湖水、其等の上に躍る日光は、何と云う美くしさでございましょう。水溜を跳び越えながら、一寸頭を擡げて空を仰ぐ若い女の影。馳け廻る犬の愉快な※[#「鼻+臭」、第4水準2−94−73]《スニッフ》。
陰影が出来、光輝を与えられて漸々立体的になった万物は始めて生きたものらしい活気を盛り始めました。体中の毛穴から、一時に心に迫る新鮮さに浄められたようになって、私はすっかり御機嫌をなおしたのでございます。
C先生、
斯うやって物を書いて居る私の窓から瞳を遠く延すと、光る湖面を超えて、対岸の連山と、色絵具で緑に一寸触れたような別荘とが見えます。其等の漠然とした遠景の裡から仄白く光って延びる道路に連れて目を動かすと、村で一番大きな旅舎《ホテル》の伊太利風のパゴラの赤い円屋根と、白い柱列《コーラム》とが瞳に写りますでしょう。レーク・ジョージでは此処一点が、あらゆる華奢と歓楽との焦点になって居るのでございます。
毎晩九時過ぎると、まだ夜と昼との影を投じ合った鳩羽色の湖面を滑って、或時は有頂天な、或時は優婉な舞踏曲が、漣の畳句《リフレーヌ》を伴れて聞え始めます。すると先刻までは何処に居たのか水音も為せなかった沢山の軽舸《カヌー》が、丁度流れ寄る花弁のように揺れながら、燈影の華やかなパゴラの周囲に漂い始めます。そして、或者は低い口笛に合わせながら、或者は旋律に合わせて巧な櫂を操りながら、時を忘れて、水に浮ぶのでございます。
C先生、先生は此方《こちら》の人々が愛用するカヌーを御承知でいらっしゃいますでしょう。両端の丸らかに刳上った幅狭の独木舟が、短かい只一本の櫂を運ぶ双手の直線的な運動につれて、スー、スーと湖面を走る様子は真個に素晴らしゅうございます。私は其の軽快な舸と人との姿を如何那に愛しますでしょう。太陽の明るみが何時か消えて、西岸に聳えるプロスペクト山の頂に見馴れた一つ星が青白く輝き出すと、東の山の端はそろそろと卵色に溶け始めます。けれども、支えて放たれない光りを背に据えた一連の山々は、背後の光輝が愈々増すにつれて、刻一刻とその陰影を深めて参ります。そして、宛然《まるで》蹲る大獣のように物凄い黒色が仄明るい空を画ると、漸々その極度の暗黒を破って、生みたての卵黄のように、円らかにも美くしい月が現われるのでございます。真個に、つるりと一嚥にして仕舞い度い程真丸で、つるつると笑みかけた黄金色《きんいろ》のお月様! 黄金色《きんいろ》のお月様!
此那晩、私共は到底じっと部屋に居る事は出来ません。露の置いた草原を歩み踰えて、古い楊柳の下に繋いだ小舟を解くと、力まかせ水の面を馳け廻ります。子供が大喜びの呼声を上げて野原を馳けるように、我を忘れた嬉しさで櫂を動すのでございます。先生、先生は、月夜に立ちのぼる水の、不思議に蠱惑的な薫りを御存じでございますか、扁平な櫂に当って転げる水玉の、水晶を打つ繊細な妙音を御存じでございますか。――
けれども、自然は決して単調な議事ではございません。時には息もつまるような大暴風雨で、小さい人間共の魂を、いやと云う程打ちのめす事もあるのでございます。
(其二)
C先生。
東西を連山で囲まれた湖畔は、非常に天候が不定でございます。今のように朗らかに晴れ渡った空も、決して夜の快晴の予言ではございません。山並の彼方から、憤りのようにムラムラと湧いた雲が、性急な馳足で鈍重な湖面を圧包むと、もう私共は真個に暗紅の火花を散らす稲妻を眺めながら、逆落《さかおと》しの大雨を痛い程体中に浴びなければなりません。其の驟雨は、いつも彼方にのっしりと居坐ったプロスペクト山が、霞むような霧に姿を消す事を第一の先駆として居るのでございます。
此のプロスペクト山は、近傍で一番高い山であるのみならず、五十年程前に、何処かの金持が麓から電車を通して、頂上に壮大な遊楽場を設けたので有名になって居ります。元はきっと、如何那にか熾な場所だったのでございましょう。けれども今はもうすっかり廃跡になって、崩れた舞踏場の傍に、小さい小屋掛けをした老人の山番が、犬を一匹友達にして棲んで居る限りでございます。きっと、金持連の世間から隔った享楽場として、余り大業な騒ぎかたが却って衰退を早めたのでございましょう。今でも腐った軌道や枕木が、灌木や羊歯の茂った阪道に淋しく転って居ります。頂上には、其等
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