も、生活の根本から洗練された純化されたいのでございます。常套、常套、而して常套と幾重にも重なった裡から、何にも染まらない「そのもの」を見出しとうございます。けれども、C先生、私がよく申上た通り私は自分で、渾一の如何に偉大であり、又如何に至難な事であるかを知って居ります。知って居る事は愛でございます。
私の米国婦人が権能を持つ事、その事には肯定出来ても、其の運用の不純さに飽き足らず思うのは、此の純一の燃焼への憧憬があるからでございます。
私が若し仏蘭西《フランス》へ行ったと致しましたなら、拉丁《ラテン》民族の優雅な、理智と感情との調和に必ず心の躍る歓びを感じますでしょう。然し、私は矢張り其裡の不純を感じて、「けれども」と云う何物かを発見せずには居られませんでしょう。
何処にでも、人間の存在する限りの地上に、此のよかるべきもの、裡に含まれた其の否定があるのでございます。そして其丈の否定が私の心に意識される以上、私自身の裡に、如何程明瞭に、恐ろしい程明瞭に照り返して居るかと申す事は御分りになりますでしょう、皆の努力でございます。各自の心が、真剣に鞭撻し沈思すべき一生の問題でございます。
前へ
次へ
全64ページ中54ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング