ざいます。
前提が少々長く成って仕舞いましたが、此処から以前の主題に戻って、此国の女性と、その観察者の態度と云う事に就て考えて見ると、私はどうしても、その観察者――紹介者の態度に大別して二様の傾向が在ると思わずには居られません。従って、若し此の二様の傾向の存在を肯定するならば、私共は又引いて、紹介される此国の女性観も、同じ差異を持つ事を考えなければならないのでございます。
(其二)
C先生。
私は此の国の女性に対する観察者の態度が、大別して二様の異った傾向を持つと申しました。其を説明すると、第一は愛すべき米国女性美の崇拝者であり、第二は、嫌人的《ミザンソロピカル》な酷評者の一群と成るのでございます。
然し其ならば何故左様な傾向が在るのでございましょう。その最も大きな原因は、今までその紹介に従った観察者が、多く男性であったと申す事によるのではございますまいか。
元より、外国の生活をしたのは決して男性に限られた事ではございません。女性で此国の生活の日常に入って経験した方はございます。けれども先生は、女性同士の間の、特種な無関心を御存じでいらっしゃいますでしょう
前へ
次へ
全64ページ中31ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング