の廃跡の外に、一軒不思議な建物があるそうでございます。真四角な石造で、窓が高く小さく只一つの片目のようについて居る、気味が悪いと見た人が申しました。何でございましょう。此間、頂上まで登って見たいと思って切角出かけたのに途中で駄目になって仕舞いました。平地の健脚は、決して石ころの山道で同様の威厳を持ち得ない事を発見致しました。
紐育あたりから遊びに来て居ります人々でも、矢張り私と余り違わない程度と見えて、深い山等へ出かける者は少うございます。従って朝夕、美くしく着飾った女達が、都会に居るよりもっと気取って、もっと富有らしい歩調で散策する距離は、僅か一哩半位の、村道に限られて居るような形でございます。其の古い楓が緑を投げる街路樹の下を、私共は透き通る軽羅《うすもの》に包まれて、小鳥のように囀りながら歩み去る女を見る事が出来ます。しなしなと微風に撓む帽子飾の陰から房毛をのぞかせて、笑いながら扇を上げる女性の媚態も見られます。
けれども此村は只其丈の単純さではございません。女達が華やかに笑いさざめいて行き交う街道の一重彼方には、まるで忘られたような、祖先のインディアンが、黒い着物に包まれて、森の中に暮して居ります。「女王」のお靴を磨きお髪《ぐし》あげをする黒坊の群も居ります。るろうの伊太利人は、バンジョーを胸から提げて道傍に立ちます。此の細長い、戸数の僅かな村でありながら、其の木の陰や森の彼方には、種々雑多な人種が、各自の力限りの生活を営んで居るのでございます。
此頃は殆ど毎日のように問題となって居る黒白人種の争闘は、心を苦しめます。今度の大戦で、欧州に出征した黒人は、楽しんで還った故国に非常な失望と、憤懣とを感じて居りますでしょう。独逸《ドイツ》人は不正な、人類、人道主義の敵であるから殺せと命じられて来た彼等は、帰って来た土地で、同様の不正と、逆徳とを発見致します。彼等の行為が不正であると云うが故に独逸人は懲罰として死を与えられた。其だのに何故自分等は、全く同様の不正の下に、沈黙を守って屈従して居なければならないのか? 独逸人に向ってのみ人道主義は説かれるべきなのだろうか? 相当の頭を持った者は皆、皮肉な、一面から云うと、デスペレートな気分で此等の疑問を抱いて居ります。仏蘭西に行った者は、仏蘭西人を、より人間らしい人間として愛して居ります。ベルジュームに行った者は、
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