するものでございましょう。
 若し彼女が自身の力さえあれば、どんな大きな邸宅に百人の従僕を使って暮す事が出来ると倶に、どこかアパートメント只一つの部屋をかりて、男のような服装で暮したとて、誰も、其を非難したり変更させたりするものはございますまい。皆、各自の力でございます。箇性が、彼女等の全部を支配して居ります。日本のように絶対の親権もなく、彼女の魂まで自分の暴威に従わせようとする憎むべき良人の下で、光栄あるべき「女性」を殺戮されないでもすみます。
 其故、こちらの婦人の生活を批評しようとしても、其処には殆ど無数の差別が必[#「必」に「ママ」の注記]される訳なのでございます。
 数多《あまた》の人種が、混り、殖民化の歴史を持って居る国の女性としては当然な事でございますでしょう。が、先ず大体三つに分けて見ましょう。
 そうすると、
 第一は、思い切り保守的な、宗教的な婦人と、
 進取的な、努力的な、従って標準より、より知的であると倶に芸術的である婦人。
 第三は、良人から与えられる金を当然の権利として、彼女の意のままに消費する群、つまり流行の偶像であり、香油と白粉の権化であり、良人の虚栄の仲介者となって居る婦人達。アメリカの物質的方面を恐ろしい程体現して、自分はいくらでも、素晴らしい着物を着て出来る丈美くしく交際社会の花形となって居ればよいのだ。良人は自分のある御かげで、彼が如何に物質的豊富であり、女性を遇する方法を知って居るかを人に誇ることが出来るのではないか、私共はどうせ、利益の交換で生きて居るのだと云う婦人。
 此等三つの群のほかに、勿論、或一点を堂々廻りして只平安に生きて死んで行く多くの人々と、アメリカの婦人の一部として、殆ど何人の注意も引かれずに、明光のささない穴ぐらの中で一生を送るような、哀れむべき貧民階級の婦人のあることは事実でございます。
 けれども、真の意味に於て、女性を成育させて行くのは、何と云っても第二の部類に属する人々だろうと存じます。
 健全な体躯と、明快な理智と、馴練された感情は、光栄な何等かの理想を彼女の魂の裡に植えつけます。そして、緻密な理論的考察と、自由な心の持つ新鮮な覇気とは、アメリカを毒す、余りに群衆的な輿論から毅然として、彼女の道をよき改革へ進めますでしょう。
 斯ういう婦人の裡には、真個に跪拝すべきよき力が漲って居ると思います。
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