のうちに、極自然な人生に対する愛と、よき意味での大望がゆっくり芽生えました。父母の遺伝もあり、自己の傾向もあって、十七歳以後、理想主義的気質が、私の生存の柱となっていました。これを一歩突込んでいえば、異常な惨苦をなめない、健康な生活力に漲った人間が、当然感じる生活愛といえるでしょう。生を愛さずに置けない本能です。然し、実際の生活苦などは知らないのだから、最も自分の想像、期待と調和する理想主義を、知識として呼び出し、自己の情熱の名づけ親とするよりほかありません。感激熱中こそ乏しくはありませんでしたが、当時の生活には著しく、精神的訓練が欠如していました。読書を愛するとか、思索を好むとか、感受性の鋭いとか云うのは皆準備的要件で、重大なのは、どこまでそれ等のおもりに依って自己に沈潜し得るかということです。外界の刺戟によって発動した自己の感激、意望というものを、一先ず、能う限り公正な謙虚な省察の鉄敷《かなしき》の上にのせ、容赦なく批判の力で鍛えて見る。いよいよこれに動きがないというところで、始めて主張するなら、飽くまでも主張するという、真に人をつくる練磨が足りなかったのです、或る「問題」を考える
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