わが母をおもう
宮本百合子
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(例)はしゃい[#「はしゃい」に傍点]で座敷を覗いたり
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母中條葭江は、明治八年頃東京築地で生れ、五十九歳で没しました。母の実家というのは西村と申し、千葉の佐倉宗五郎の伝説で知られている堀田藩の士で、祖父の代は次男だったので、武術の代りに好きな学問でもやれと言って国学、漢学、蘭学などを専門にやっていたらしい様子です。
経済的には貧乏であったらしい話で、明治政府に勤めるようになってから、祖父は金モール服で宮中へ参内し、娘である若い母は人力車で華族女学校へ通っていながら、体格検査の時栄養不良という評をもらった程であったと、よく私に話した事がありました。
祖父はよく言えば潔白な性格であり、他の方面からいえば小心な人で、政治的手腕というものは欠けていたように思います。ですから伊藤内閣の時代には所謂正義派で、その生涯では大した金も残さず、しかもその僅かの財産も、没後は後継の人の非生産的な生活や、いろいろな家族内の紛糾のために何も無くなって、母は晩年、自分の少
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